私の椎名誠
藤沢 慶太椎名誠である。
今や作家であり、映画監督であり、アウトドア人間の元祖であり、昭和軽薄体とも言文一緒体とも言われる文体の代表選手であり、一部に熱狂的な信者を持つ一種のカリスマである。自称「活字中毒」者であり、旅に出て、酒を飲み、焚き火を囲んで奇声を発する集団「あやしい探検隊」の中心メンバーでもあり、結婚後フリーとして一本立ちしてからはほとんど一年中家に帰らない時期もあり、奥さんがノイローゼ気味になったことまであるらしい。近年はエッセイなど読んでいても、やれ髪が白くなったの、目がかすみがちになってきたの、カツ丼はもう思い切り喰えないだの、娘が外国人と結婚するだのとすっかり年齢相応にトーンダウンして、イイ感じに枯れた壮年になってきてしまったが、若き日の武勇伝は大変なものであり、著作の多くを占める中学・高校時代から『本の雑誌』を中心にモノ書きとして成功するまでの自伝の中に出てくるメンバーもほぼ同じであるが、よくもこれだけ奇妙奇天烈な人達が周りに集ったものだと思わせられる一癖ある人間が多い。類は友を呼ぶのか、それとも普通のヒトが変人に仕立て上げられているだけなのだろうか。椎名誠というのは我々が小学校高学年から中学生の時にかけて徐々に大変に有名になり、彼が出演のテレビコマーシャルなども流れ一種のブームですらあったと思う。私が初めてその名前を知り本を読んだのも小学校六年くらいであったと思うが、中学の時は回りの人間は皆一度くらいは椎名誠を読んでいたかのような記憶がある。しかしこれは最近同世代の知人に否定されたばかりなので錯覚かも知れないが。
『椎名誠の増刊号(小説新潮七月臨時増刊)』〔新潮社/一九九二〕の年譜に依れば、椎名誠は我々にとって御当地である千葉は幕張の産だ(より正確には、産まれたのは三軒茶屋で六歳まで育った)が、小学校六年の時に父親を亡くし、「父親が死んだら子供はグレるものだ」という思い込みのもとに高校生位までは千葉の田舎町の番長格で、学校のトイレで待ち伏せされて殴られたり、対立していたグループに追い込みを掛けられた友人が自宅にやって来たり、自宅を集団で襲撃されて逃げたりと典型的な劇画調生活を送っていたらしい。二十歳になって東京に出てきてからも時々気に入らない奴とは一戦交える、という素浪人というか或る意味チンピラのような所もあって、「暴行」で中野警察に拘留されたり、空手使いの人間とケンカして歯を吹き飛ばされたり、タクシーの運ちゃんともよく小競り合いをしたらしい。今でもそうかは知らないが、腕立て伏せと腹筋を確か二百回づつやるのが日課だったそうで、そうした日々のたゆまぬ鍛錬により腕に自信があることも手伝って、中年になっても電車で傍若無人な若者をビシッと注意するなど実にタノモシイのである。その辺の硬派(?)な所が中学生男子や女性にも人気がある一つの原因であろう。そんなやくざなことをしている一方で、小学校六年の時にはクラスの『6の5新聞』という壁新聞の編集長を務め、中学時代はケンカに明け暮れつつも見に行った映画の記録を几帳面に手帳に記し、高校時代は(同じ組になり現在に至るまで交際の続くことになる)沢野ひとしに啓蒙されて『文學界』や『群像』を読み耽り、十九歳の時に同人誌『幕張じゃーなる』を創刊し、その後も『斜めの世界』、『フモリスト』などの同人誌を創刊。現ストアーズ社であるデパートニューズ社に入ってからも個人でガリ版紙『月刊おれの足』を作ったり、会社では業界誌に過ぎなかった『調査月報』から発展して『ストアーズレポート』という一般向けビジネス誌を構想して実現するなど、まさに成るべくして著述家に成ったような経歴の持ち主でもある。こうした二重性が堅苦しい「文学」とは異質のエンターテインメント的要素を醸し出し、多くのファンを生んでいるのだろう。
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