王様の砂時計
ヤザキ トオルあれは火曜日のことだった。初夏から夏へと変る不安定な時期だったが、其の日は珍しく朝から晴れていて、人々は暖かい光(やや暑すぎる感もあったが)を心から楽しんでいた。そのためか学校でも皆、楽しそうに見えたし、実際そうだったのだろう。僕も気持ちよく一日を過ごし、帰りがけにはビデオまで借りてしまった。まだ確かさの残る日差しを背中に受け、僕は家までの道を急いだ。
部屋に戻るとCDをかける。「MONTAGE」、今日借りてきた映画「スワロウテイル」のサントラだ。1曲目「SUNDAY PARK」静かにアコースティックギターが響き、Charaが癖のある声で歌い始める。僕はこの曲を聴くたびに軽い非現実感に襲われる。
此処にいる僕の他にもう一人、違う世界に僕がいる。そこで僕は何をしているのだろう。ベッドに倒れこみ、けだるい歌声を聞いていると、電話のベルが鳴った。
僕は基本的に電話が嫌いだ。しかし何故か家の家族は電話を取らない。結果、必然的に僕が電話を取ることになる。いつものことだ。僕はベッドから手を伸ばし、テーブルの電話を取った。
「私の友達が死んだの。」
電話の声はそれだけを告げた。後は泣くだけだ。
「ワタシノトモダチガシンダノ。」彼女は確かにこういった。何なんだいったい。聞き覚えの無い声。泣き声のせいだったのだろうか。若い女の声だった。
僕は起き上がった。何なんだよこれは、再び思う。右手に泣き声が伝わる受話器を持ちながら僕は今、非常に微妙な立場にいることを自覚した。六時十七分。とりあえず時計を見てみた。六時十七分三五秒・・・・、四十秒。五秒経った。
明らかに彼女は僕の言葉を待っている。ボクハカノジョニマタレテイル。しかし僕は彼女が誰だかわからない。電話の向こうからは張り詰めた悲しみが伝わってくる。枯葉一枚落ちてきただけで、全てが崩れてしまうような雰囲気だ。彼女は声を押し殺し泣いている。受話器を握る手が汗ばむ。沈黙。僕には電話の向こう、彼女の姿が目に浮かぶようだった。
カーテンを閉めた薄暗い部屋。室内は少し神経質的なまでに整理されている。ひどく静かだ。彼女はその中に一人、ベッドの上でひざを抱え込み左手で受話器を持っている。髪の毛はわりあい長く、うつむき加減の彼女の顔を半分隠している。まるで泣いているのを隠すかのように。ベッドの上にはその友人と撮った写真が散乱している。時計の冷たく無機質な音と彼女自身の息づかいのほかは何も聞こえない部屋。そこで彼女は僕の言葉を待っている。
僕は動揺していた。何故僕なんだ。いったい何が起こっている?何を話せば、なんと答えればいい。そして彼女はいったい誰なのだ。
「失礼ですがどちらさまですか?」
電話の向こうで一瞬、全ての音が止まる。
僕も自分の言葉に驚いていた。なんて台詞だ。この一言で、僕と彼女の絆は断ち切られた。ぼくはこちら側、彼女はあちら側だ。しかし残酷かもしれないが、それが事実だった。僕は、彼女の友人の死に泣くことは出来ない。そしてもし、僕が涙を流すとしても、それが彼女の涙と同じはずが無いのだ。僕には、そんな涙が正しいのかはわからない。しかし今、本当に必要なのはわかった気になることではなく、わかろうとすることだろう。僕は思う。
「私が誰だかなんてあなたに関係ある?彼が死んじゃったの。いなくなっちゃったの。ねえ彼は何処にいっちゃったの。教えて。私はあなたに聞いているの。」
少なくともこれで二つのことが明らかになった。まずは彼女が誰でもない僕に話し掛けていること。もう一つは彼女の死んでしまった友人が男だということだ。しかしこの二つの事実は僕を何処にも連れて行かなかった。間違い電話の可能性だけはなくなったな。彼女は僕に話し掛けているらしいから。僕はもはや逃げることも出来なかった。僕が彼女の悲しみを引き受けなくてはならないのだ。もちろん電話を切るのは簡単だった。ボタンを押せばいい。そしてこの状況で電話を切ったって100人中73人は僕を責めないに違いない。しかし駄目だ、僕は思った。彼女はあの音の無い部屋から「僕」に電話をかけている。僕にはある種の責任があった。彼女を切り捨てることは出来ない。
僕は深く息を吐いた。そして頭を振る。
確かに僕はこの理不尽な電話に苛立ち、そして混乱しているが、それ以上に彼女に対して同情していた。いや違う。もっとましな表現を探そう。なんと言うか、僕は彼女に捕らえられていたのだ。彼女の薄い絹のような悲しみは電話越しにも痛いくらい伝わってくる。僕は彼女の心の震えの一つ一つがわかる気がした。そして手を伸ばせば彼女の肩に届くような気さえした。しかし実際には何キロメートルも何百キロメートルも離れていて僕は彼女に触れることは出来ない。
彼女があんなに苦しんでいるのに僕は何も出来ないのだ。そもそも人の死など僕の世界には存在しなかった。アンフェアだ。僕が映画の中の死を見ている時、現実の世界でも人は死んでいる。僕はただ知らないだけ、知る必要が無いだけなんだ。僕はぼんやりとそんなことを考えていた。それはそこにあるのだ。いつも変わらずに。
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