
『とにもかくにも』 第二章 車は嫌でも回転する
右手はだんだんと良くなってきている。痛みはない。だけど包帯は取れない。
心のほうも修復の兆し。だけど、本当よく書けたよ。一晩であんなに長く。日記じゃないみたいだ。だって、あれからもう1週間半ぐらいたつけど、あの後の日記、殆ど一行で終わってる。例えば
×月×日
今日は、大学の近くのカレー屋でカレーを食べた。上手かったけど、香辛料入れすぎ。とか、
×月×日
朝から、代官山に買い物に行く。可愛いヘテロがたくさん。春物のニット購入。などの羅列。
けど、今日もまた面白いことがあったから長くなりそうだ。
今日は、朝から学校で調べ物をしなければならなかった。しなければならないなんてことは今の僕には―ていうかそんなものこの世の中にあるのか―本当は何もないのだけど、そうでも思わなければ、何もしないまま日が暮れてしまうので、仕方がない。
ボクは、自転車で通学する。この習慣も今年でもう六年目になる。今の自転車は二代目、去年の夏に買った。名前はまだない。
そんなわけだから、本当に見慣れた、見飽きた道を同じように、おそらく同じ車輪の回転数で通う。まず、緩やかな坂を登り、高速道路上にかかった橋を渡る。そうしたら右手に小学校が見えてきて、彼らを轢きそうになりながら通り抜ける。本当は校庭を横切ってはいけないんだけど、近道なのだから勘弁してもらいたい。
少し住宅街地味た地域に入っていくとそこには、「盆地」がある。グーっと下がってまたペダルをこぎまくってドカンと坂を駆け上がる場所だ。ここは気持ちが良い。何だか、一旦落ちるとこまで落ちてまた復活するような感覚が味わえるからだ。毎日「イエス・キリスト」の気分が味わえる。
そこを抜けると、今度は片側2車線の国道に出る。ここで確実に信号につかまる。上を見上げるとモノレールの通り道、市が政令指定都市になるために慌てて作ったものだ。モノレールが通るたびに、落ちてきたら、車四台は巻き込むなと思う。これもいつものことだ。
信号は、ボクが止まることを余儀なくされている信号の、その一つ先の信号が赤に変わることで、変調をきたす。
ぴっぽ。ぴっぽ。ぴっぽ。ぴっぽ。ぴっぽ。ぴっぽ。
とけたたましくなっている左手の歩行者信号の音がやみ、車用の信号が黄色、赤と変わり、「ボク」の歩行者信号が青になる。スタートだ。
自転車は進む。細い路地裏を進む。次に見えてくるのは小学校と中学校、その間を颯爽と通り抜ける。小学校と隣り合わせて中学校が存在する状況。ここで育つ子供はどんな気分なのだろう。しかも「公立」だよ。ずっと9年間同じ顔。ヤンキ―中学生が見込みのある小6をスカウトしたりという風景もあるんだろうな。けど、小4のとき振られたレイコちゃんと中3でSEXなんて可能性もあるわけだ。夢もあるな。面白味と辛さと、どっちが強いんだろう。今度聞いてみたいもんだ。
ここまでくると、大学の裏門が見えてくる。所要時間12分。誤差はあっても前後30秒ぐらいだ。
雨の日も風の日も、暑くても寒くても、雪が降ろうが雹が降ろうが、通い続けたこの道。気分転換に違う道、何てこともあったけど、この道が一番だった。変化しても道が左右に一本ずれるぐらいだし。ほぼ家から直線というのも何だか良かった。
代わり映えしない。「いつものこと」。
この道の何処に誰が住んでいるかも大体わかる。もちろん詳しく、ここにはおばあさんが住んでいて、たまに、ごくつぶしで、飲んだくれで、×1の40過ぎの息子が帰ってくるとか、ここは、離婚調停中の夫婦と、その15歳の娘と13歳の息子が住んでいて、子供たちの顔が日に日に暗くなってくるとか、この家の高校生の娘は、遊ぶ金のために体を売りまくっていて、知らないのは、片親でここまで育ててきて大工をやっている昔気質の父親だけだとかは、知らない。
けど、それぐらいのイメージは、表札で十分思い浮かぶ。毎日毎日通っていると表札も暗記してしまった。角々にある家のみ羅列していくと、
「サカキ」、「モリモト」、「ヤマドメ」、「ライチョウ」、「タカハシ」、「ウラベ」、「モリシタ」、「ヒジオカ」、「トクヤ」、「ゴシマ」、「オオエ」、「ナツヤギ」
となる。憶えているのも少しひくな。
ボクは「日常」って言葉は大嫌いだ。何だかとんでもない力があって、この言葉を言ってしまえば、あきらめがつくみたいな気分になるからだ。けど、ここまで毎日が同じだとどうしようもない。こりゃ、「日常」なんだろうねえ。
今朝も同じだった。同じように坂を登り、下り、3つの学校を抜けて自転車は進む。そして同時に、「サカキ」、「モリモト」、「ヤマドメ」、「ライチョウ」、「タカハシ」、「ウラベ」、「モリシタ」、「ヒジオカ」、「トクヤ」、「ゴシマ」、「オオエ」、「ナツヤギ」さんの根拠地を横目に、彼らの人生を通過して学校に向かう。同じリズムを刻みながら。
門を抜けると、おっさんが立っていた。「おっさん」というのは先輩だ。あだ名でも何でもない。もう、俺たちはみんな「おっさん」だということの意思表明としてみんなで言い合ってるんだよねえ。あいつも「おっさん」、もちろんボクも「おっさん」。
この「おっさん」の名前はモリタ君という。
「こんにちは、何してるんすか?」
「別に。ずっと、あそこいると変になってくるだろ? 気分転換つったら、また、「おかしいっすよ。」って馬鹿にされるだろうからいわないけど、まあ、そんなもんだな。」「今日は、いい天気ですもんねえ。」
モリタ君は、先に先にこちらの思考を先回りする。そうなってしまうのが怖いから、自分が言われたら嫌だなあ何て思うことを、最初にそれを相手に提示してしまう。だから、いつも質問しても、その答えとボクのリアクションまで言われてしまって、いわゆるキャッチボールは成り立たない。けど、黙ってたら気まずいから、どうしようもないの。「暗闇への跳躍」。
「なんか面白いことはありましたか? 最近? 俺はねえ、ようやく手の怪我治ってきましたよ。いい感じっすよ。春だしねえ。」
「ああ、お前の狂気の証明な。治ったらまともになるだろう。お前は大丈夫。普通の人間だから。」
「俺はまともですもんねえって、違いますよ。俺が聞いてんのは、面白いことですよ。」「面白いことっていう言葉の定義自体が分からない。お前の主観でなのか。それとも俺個人的なことでいいのか。」
ああ、どうしようもねえなあ、言葉にこだわりだすと会話ができないんですよ、みなさん。
「モリタ君の個人的なことで、それでいて、俺の趣味にも合いそうな、二人に共通して感じ取れるような、そんな面白い話はなかったですか?」
「ない。」
モリタ君はこれでも、今日はよく話すほうだ。というか酷い時は話さないし、とにかく涙目だ。躁鬱でいったら、今日は躁なんだろうねえ。鬱の時もよくある。変化の激しい人なんです。
けど、病名っつうか、正式な「名称」って怪しいもんだよねえ。ボクがここで使ってるのって、「正式」な人から見たら、「お前そりゃア、鬱でもなけりゃなんでもねえよ」っていわれちゃいそうだけど、ボクにとってはそれが正しいわけでねえ。かぎカッコつきの鬱、「鬱」とでも書けばいいのかねえ。世の中、情報が溢れすぎて、「正式」な意味って奴を離れて、「名称」だけが一人歩き。てくてくてくって。それぞれの人間の「オモシロ意味」が氾濫してます。
そういや、「マイブーム」ってのも一昔前にはやったけど、あれって創始者みうらじゅん的には「俺だけのブーム」って意味だったのに、「崖っぷち」とか「仏像」とか「ビニ本」とかで。だけど、渋谷のお姉ちゃんが「私はあ、いまあ、ピアスが「マイブーム」でえ」って、感じで使われてて、おいおい、それってお前だけじゃねえだろ! って、突っ込んでたもんなあ。ボクの周りのみんな。それにしても例が悪いねえ。
「どうせさあ、モリタ君。後で研究室くるんでしょ。先にとりあえず行ってますよ。」
「とりあえずって何だ。意味がわからん。」
「ほいじゃあ、また。」
自転車は走ります。そこから1分ほど。
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