影無し男

 溝口聡

 

 夕暮れ、次第に伸びてゆく影を追うように僕はあるいていた。
「ねえ裕作、影無し男って知ってる?最近話題になっているじゃない。」
 晶子の声がまだ頭の中にこびりついている。彼女はあんなことを言うべきではなかったのだ。僕はぼんやりとそんなことを考えている。頭の隅のほうが鈍く痛い。やはり来るべきではなかったのかもしれない。何度目かになる問いを繰り返した。いまさら彼に会って何になるんだ。僕は頭を振った。

 薄暗い路地を抜けると、雑木林にでた。立派なものではない。杉だろうか、その木はひょろひょろとただ伸びている。仲間と遊びまわっていたあの頃。この林は世界の果てだった。小さい頃の小さい世界。ほろ苦い思い出を味わいながら、先を急ぐ。この林を抜けたところに彼の家はある。


 影無し男について僕は多くを知っている。だから其の分、今現在囁かれている彼の伝説を聞くたびに心が痛むのだ。今「影無し男」は都市伝説に成りつつある。その多くはくだらないものだ。声をかけてきた男に影がなく、其れに気づいてしまうと男は女を殺そうとするだとか、暗い夜道を歩くと、後ろから男が「お前の影をくれ。」といって襲ってくるとか。更には午後六時丁度に橋を渡ると、影の無い男がこちらに向かってくる、など。これらの伝説には殆んど一貫性がない。出現場所も東京、大阪、福岡などの大都市を始め、ほぼ全国に見られるようだ。
 このことは何を意味しているのだろう。多分、僕は思うのだが最初に有ったのは「影無し男」という言葉だけだったのだ。しかし何故か其の言葉が人々の口に上るようになり伝説が生まれた。そして人々は自らが生み出している伝説なのに恐れおおのいている。こう考えてみると人は結構恐怖という感情が好きなのかもしれない。退屈な日々に彩りを添える非日常性。其れを求めてわざわざ伝説を作るのだろう。

 でも影無し男は本当にいる。伝説とは関係無いところに。

 僕の話をしよう。僕は千葉県の小さい街で育った。東京のベッドタウンとして計画されたが途中で忘れられてしまった町。新築の家と薄暗い雑木林が同居しているような町だ。新たに越してくる家も多いため、子どもが多く、夜遅くまで皆公園や林を駆け回っている。自然も豊かで、町の真ん中を流れる川や四季の花が咲く小高い丘など遊び場所には事欠かなかった。僕はあまり活発な子どもとはいえなかったが、それでも他の子どもと同じように雑木林の中でよく遊んだ。たまたま友だちの家がそこら辺に固まっていたためだと思うが、小学校時代を思い返すと夕暮れ、真っ暗になるまで林の中を駆け回っていた思い出しかない。思い出の中で僕らは真っ暗な森の中を走っている。そして遠くから僕らを呼ぶ母親の声が聞こえる。そうして一人減り二人減り、だんだん森の中は静かになる。僕の母親はなかなかやってこない。子ども心に母親が忙しいことを知
っている僕はいつも最後まで遊んでいた。人が減ってくると森の中は急に暗く静かになる。僕らは次第に駆け回るのをやめ、一番大きい木の下に集まって母親を待った。
 最後まで残るのはいつも同じメンバーだった。僕と高志と朋広だ。僕らは肩を寄せ合っていろいろな話をした。先生の話、飼っていた猫の話、クラスのかわいい娘の話。その殆んどはくだらない話だったが、僕らは其れがまるで世界の全てであるように真剣に話し、真剣に聞いた。闇に飲まれ静寂の中、其れは確かに親密な時間だった。僕にとってこのひと時はとても大切なものだった。其れは彼らにとっても同じだったと思う。中学に入り皆が雑木林なんかに見向きもしなくなってからも僕らはその木の下に集まった。
 あれは中学校三年の頃だったと思う。その頃僕らはひどく無口だった。理由はいろいろある。成績のこと、高志のうまくいかない恋愛話、先の見えない将来。その中でもやっぱり一番の原因はやはり僕の引越しだったのだろう。
「どうせ来年には皆ばらばらになるんだぜ、何でこんな時期に引っ越すんだよ。」
 高志が何度目かになる同じ文句を繰り返した。さっきからふてくされたように横を向いていて僕のほうを見ようともしない。
「そんなこと言ったって父親の転勤が急に決まったんだ。どうしようもないよ。」
 僕だって彼らから離れたくはなかった。其れは本当だ。でも僕の中に何か、嬉しい気持ちもあったのだ。其れが僕をいくらか後ろめたい気持ちにさせた。
「高志もそんなに怒るなよ、もうすぐ裕作いなくなっちゃうんだぜ。怒っていても仕方ないだろう。」
 朋広が高志の顔を覗き込みながらいった。高志は顔をそらす。
「仕方がないことはわかってるさ。親に単身赴任しろなんていえないだろうし、結局はうちらは一人じゃなんも出来ないんだからな。でもさ。俺はなんていうか・・・怖いんだ。」
「怖い?何が怖い?。」
「なんだろ?変わることかな。今うちらは上手く行ってるんだよ。俺と朋広と裕作で。お前ら二人ともホント大切だし。だからこのバランスが変わるのが怖い。正しいこととは思えない。」
「でも其れは仕方ないことだろう?」
 僕は言ってみた。
「でも、高志の言うこともわかるよ。うちらは三人だから上手くいってたのかも。高志は単純だし、俺は考えすぎる。裕作は何か無関心だよね。三人とも全然違う。」
 朋広は其処で何か考えついたようだ。
「例えばさ、高志の好きな子、明美さんの話。」
「ここで明美は関係無いだろう。朋広。」
 不機嫌なまま高志が言う。朋広はいいから、と言うように高志を制して
「多分高志と俺しかいなかったら、うちらは何処にもいけない気がする。俺は高志の苦しんでる気持ちわかるよ。でもそれだけじゃ駄目なんだよ。二人して悩んでてもどこにもいけないと思わん? 裕作みたいなやつがいないとうちらは上手くいかないんじゃないかな。」
「俺が言ってるのも多分同じ事だと思う。俺は他人の気持ちに鈍感だから、例えば朋広が悩んでても気づかないと思うんだ。裕作、お前は関心ない振りして何でも解かってるじゃんか。お前のそういうところには本当に助けられてるんだよ。」



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