それから十年が経ち、同じ言葉を僕は晶子に言われている。裕作って無関心な振りして本当は優しいのよね、と。でも本当に僕は優しいのだろうか?僕が無関心なふりをしているのは弱いからだ。僕は高志がうらやましかった。自分の気持ちを素直にぶつけることの出来る強さ。今思うと僕は彼のそういうまともさが大好きだった。だから彼が死んだと聞いたとき、自分の中の大切な何かが確かに死んだ。同じく僕は、朋広のことも好きだったのだろう。朋広は弱かった。すごい繊細な心をもっていて、優しかった。僕が優しいというのなら彼は僕の十五倍は優しいと思う。二人とも本当に大好きだった。

 だから僕は彼らを失うべきではなかったのだ。

 夏が過ぎて僕は転校した。別れというものはえらくあっさりとしたものだと思う。引越しの時には高志も朋広も見送りに来てくれた。でも夏の明るい日差しの下ではあの親密感は消えてしまっていた。僕らは妙にギクシャクした空気の中で別れた。誰も泣かなかった。でももし誰かが泣いていたらそれは空空しいものになっていただろう。でもそのことについて彼らはそれなりに傷ついているように見えた。僕は何か言う必要があった。
「気にすることはないよ。一生のわかれってわけでもないし。向こうに着いたら手紙書くよ。たぶんまたいつか遊びにこれると思うし。」
 それに、僕は小さい声で付け足した。
「あの森がなくなったわけじゃないだろ。大丈夫、うちらは上手くいっていた。これからも上手くいくよ。」
 そう僕は信じたかった。でも同じくらいそうじゃない事も信じていた。僕らは中学生でまさに思春期の真っ只中だった。毎朝目覚めるたびに新しい自分になっていくのを感じていた。そんな中で誰が変わらないということを信じられるだろうか。僕には信じられない。そして僕は、本当は、変わりたかったのだと思う。新しい自分に。
「お前とはいつかまた会いたいよ。そのときを楽しみにしてる。」
 高志がまっすぐに僕を見つめて言う。僕は嬉しい反面、目をそらしたくなる。
「裕作、俺手紙書くね。絶対書く。」
 朋広は足元を見ながらつぶやく。朋広らしくて少し笑えた。
 遠くで両親が僕を呼んでいる。こんな風にして僕らは別れた。


 ところで影とはなんなのだろうか?
(@光が何かにさえぎられて、その裏側に黒く現れるもの。A水面、鏡、金属面などに映って見えるもの〔実体のないものの意味にも用いられる。〕B姿。Cぬぐうことの出来ない暗い印象や好ましくない・影響(徴候)を思わせる何物か。)〔新明解国語辞典より抜粋〕


 転校した学校ではわりあい平穏に過ごした。すぐに友達もできたし、優しくしてもらえた。たぶん皆、迫りくる受験戦争に必死で転校生なんかに注意を払う余裕がなかったのだろう。無視したり敵対するのには結構エネルギーをつかう。その意味で僕は皆に仲間として認められた。新しい仲間の中で、将来のための勉強をするのはとても気持ちよかった。変わっているという実感があった。クラスメートは時々疲れた顔をしながら、僕に言った。
「裕作、受験勉強楽しいか?お前別に頭良くないよな。」
「別に勉強が好きなわけじゃないさ。」
 僕は笑いながら言った。勉強なんて如何でもいい。
「俺、お前のこと良くわかんねえや。」
 あたりまえだ。僕だって自分のことはわからない。なぜ変わりたいのかも、どう変わりたいのかもわからなかった。そのことについて考えると混乱する。そんなときは、公園の芝生に寝転んで空を見ることにした。空は青く高く、光に満ちていた。静かに目を閉じると子どもの笑い声、犬のほえる声、ボールの弾む音が聞こえる。目を開ける。空が広い。ゆっくりゆっくりと、雲が流れてゆく。僕はあまりにも小さいと、素直に思える。そうするといつのまにか悩みなど消えてしまうのだ。
 
 そしていつのまにか僕は高校生になっていた。朋広からは相変わらず月に一度、十五日に手紙がくる。毎回面白おかしくいろいろな事が書いてあった。高志も朋広も同じ高校に行ったらしい。ここは退屈だよ、高校に入ってからの手紙にはよくそう綴ってある。よくわからないが彼はだんだん何かに苛立っているみたいだった。高志はまだ報われない恋愛をしている。あいつはいつもそうだった。三人の中では一番背も高く、体格もいい。細身で少々険のある目つきをしているが、優しい口元をしており何よりも健全だった。少なからず女の子に告白されたこともある。それなのに何故か上手くいかないのだ。そのことで僕らは彼のことを幾度と無くからかった。そういう僕らも女の子には縁が無かったのだけれど。今、彼は仁美という子に恋をしているらしい。
 (仁美ちゃんに会うときのあいつの顔ったらないぜ。なんもしてないのに真っ赤になるしさ。やつが言うには今世紀最後の恋愛らしい。明美とか夕子とかは如何だったんだよってきいたら、笑いながら「あれは恋だ。今俺はあいつを愛してる」なんていうんだよ。でも逆にあいつがあんなこというなんて珍しいよな。確かに仁美ちゃんもかわいい、けどどちらかといったら明美とかのほうが全然かわいいよ。なんで仁美ちゃんなんだろ。まあ良いけど)
 手紙を読んでいる分には彼らは全然変わってないように思えた。多分僕の返事を呼んでいる朋広も同じ事を感じていたはずだ。変わったことといえば、高志の女の子の名前、朋広が本を大量に読むようになったこと。自分の事は良くわからない。生活自体を言うのなら何も変わってない気がする。朝起きて学校へ行き勉強をして家に返り寝る。単調な繰り返し。変わりたいという気持ちは依然としてある。けどその取っ掛かりが何も無いのだ。僕は内心ひどく苛立っていた。学校へ行くといつもある笑顔笑顔笑顔。何が楽しいのか僕にはさっぱりわからなかった。
「裕作今日、ゲーセンよってかねえ。」
「ごめん、早く帰って犬にえさやんないといけないんだ。」
 こういう風に僕は少しずつ孤独になっていった。

 高校時代で語るべき存在がいるとしたら、それは晶子だけだと思う。彼女がいなければ僕の生活は今より暗く救いの無いものとなっていただろう。
 その日、僕はいつものように公園の芝生に寝転びくれていく夜空を眺めていた。ひどく鮮やかな夕焼けで、全てのものが赤く染まっていた。僕はひどく疲れていた。自分で望んだとしても孤独は人を疲れさせる。僕にはこの夕焼けを分かち合う人すらいないのだ。僕は長い間、日がすっかり落ちきってしまうまで空を見つめていた。

「ねえ、君はそんなに暇人なの。」
 突然後ろのほうから声がした。振り向くと薄暗い中に人影が座り込んでいるのが見える。物音はしなかったからずいぶん長いこと此処にいたのに違いない。
「お前、だれ?」
「夕日綺麗だったよね。いつも此処にいるでしょ。なんで?」
 彼女はゆっくりと僕の方に近づいてきた。街頭の明かりに照らし出されたその顔はひどく綺麗で充分に非現実的だった。僕は暫く見とれていたのだろう。
「初対面の人の顔を見つめすぎるのはあまりいいことじゃないね。」
「こんなときに知らない人に話し掛けるのもあまり良いことじゃないと思うけど。」
「私そういうこと、気にしないことにしてるの。だってくだらないでしょ。」
 そういうと彼女は僕の横に座り込んだ。そして僕のほうを向く。
「ねえ、君この公園でよく見る。暇なんでしょ。いつも空、見てる。」
 僕は頭を振った。
「いつも空を見てるのは確かだけど、そんなに暇だというわけでもない。」
「私は暇なの。」
 そういうと彼女は急に立ち上った。そして街燈の周りをくるくる回りだす。肩までの髪が光を受けて艶やかに輝く。笑っているその顔は全然笑っているようには見えなかった。
「傷ついてる?」
 僕はそう聞いてみた。
「違う、ただ暇なの。こんな綺麗な夕焼けを見れて、何を傷つくことがあるの。」
 彼女は立ち止まった。光を背にして表情は読み取れない。
「名前は?」
「晶子。暇だったらこの公園に来て。多分私もいるから。」
 それが彼女との出会いだった。



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