| 原因解明のための準備 「姿を消す」といって依子と別れてから、何日か経った。
依子は最初、戸惑っていたが、陸が必死で、依子の事を好きでなくなったわけではないこと、本心は依子とずっと一緒にいたいのだということ、依子の前から姿を消すだけではなくて、目的は今まで自分が存在した場所からいなくなるとどうなるかだということ、親にも既に断っていること、期間は長くて二ヶ月だということ、それも全て自分の興味として姿を消したいのだということを二時間ばかり説明すると彼女も笑顔になった。
「面白いかもね」
「私も最近、陸によりかかり気味だったと思ってるから」
とまで言ってくれた。
彼女に言ったことは、殆ど嘘だったから、少し罪悪感もわいた。
このアイデアを抱いたのには契機がある。高校時代からの友人で、隣の市の工業大学電子工学科に通っている翔太の存在だ。翔太は「深い溝」話の時こう言った。
「お前さあ。それって高校のときからでしょ? 「溝」とか何とかじゃなくて、女が怖いんじゃないの?」
ここまでは陸にとって聞きなれた一般論だった。
「だったら、俺が機材は何とかするから、その依子だっけ? 彼女の部屋に盗聴器と隠しカメラセットして、嫌ってほど女が何なのか見ればいいんじゃないの? 」
率直に面白そうだと陸は感じた。除き趣味などは持ち合わせていないと思っていたが、好奇心に捉われた。依子は自分のいないあの部屋で何をしているのだろうか。
「ばれたら依子は怒るだろうな」
怒るどころか烈火のように泣き叫ぶ姿が目に浮かんだ。ばれなきゃいい。浮気と一緒だ。陸は依子が怒っても、結局は仲直りできるような気もしていた。何せ、依子は俺を愛しているし、俺も依子を愛している。
その数日後、翔太から機材をもらい、依子が風呂に入っているときや、コンビニに一人で自分用の煙草を買いに行っているとき、などを見計らって、それらを設置した。
隠しカメラは部屋全体を俯瞰できる場所、物置になっているロフトのダンボールの中に鉛筆で突き刺したぐらいの穴を開け、下に向けて置いた。エネルギーは複数のダンボールに穴を開け、そこにコードを通し、ロフト上のコンセント穴に差し込んだ。中身が入っているから、滅多なことではダンボールは動かさないし、いらないもの詰め込んでいるものだから、開けることも無い。テープはない。翔太の話だと直に「映ったものをそのまま、その時間にお前が見るわけだから、録画は勿論できないけど、テープはいらない、映しっぱなしなんだよ」とのことだ。
翔太の言ってることは陸には良くわからなかったし、私にも良くわからない。
私は、陸がどうしたかを記述するだけにとどめよう。
盗聴器のセットは簡単だった。市販? されている、プラグの差込口を増やすモノ、「たこあしプラグ」の中に埋め込まれているタイプのものだった。翔太が持ってきたものが偶然、依子が使っていたものに似ていたため、簡単に替えることができた。このタイプは半永久的に作動してくれるらしい。
最後に、なんだかよくわからない機械を、ベランダの上の雨どいのところに完全に防水――ビニール袋に三重に包んだ――して設置した。カメラの電波を集めて、陸の家まで飛ばすものらしい。
準備は万端だ、と陸は思った。翔太に言われたことでやり残したことは無いか、もう一度確認した。それに不具合があっても、合鍵は手元にある。何とかなるだろうとも考えた。金はかかったが――一年間、車購入のために陸が貯めていたバイト代は消えた――、一番良いものをそろえてもらっている。自然に笑みがこぼれてくる自分に気づき、陸は慌てて、シリアスな顔を作った。
「遊びじゃないんだ。原因の解明だ。探求だ。」
今日、翔太が、陸の家で最後のまとめ、つまり、陸の実家で依子の部屋の様子が見ることのできる体制を整えることになっていた。
家のチャイムがなり、母親が応対する。高校時代からの友人である翔太のことは母親も知っている。
「あら、翔太君久しぶり、陸が翔太君がくるっていったものだから、おばさんケーキ買っといたわよ。翔太君、生クリーム好きだったでしょ」
「はい、おばさん。ありがとうございます」
何ていう会話が二階の陸の部屋までひびき、翔太は部屋に入ってきた。
「おい、お前のおばさん、また、他の奴と間違えてんじゃねえか? 俺は生まれてこの方生クリームが好きだ何ていったこと無いぞ」
「だろうな。」
「全く」とか何とか愚痴愚痴言いながら、翔太は準備に取り掛かった。準備する翔太がなにをしているのか陸にはさっぱりわからなかったが、自分のデスクトップ型パソコンが変化していること、受信用のアンテナと盗聴電波を拾うための機材を翔太が持ってきたことは理解できた。準備する翔太の顔が少し興奮して赤みを帯びてきていることも陸にはわかった。
「できた。ぎりぎりだったよ。お前の家と彼女の家が1q以上あるみたいで、少し画像は乱れるけどな。あと電波もギリギリだ」
実行
翔太が準備を終え、帰ると、陸は平静を装い、つまりは普通に夕飯を食べ、「依子ちゃんと別れたの? 」などという母親の問いには、無言で「深刻」という態度で接し、風呂に入り、リビングで一通りテレビを見てという行動をとった。誰にとは言わず怪しまれるのが嫌だったからだ。
「義務」的な作業を終えて、ようやく陸はモニターの前に坐った。ここでも陸は平静を装った。何処も慌てちゃいないし、早く見たい何ていうあせりも無いですよという態度で。そして、自然で不自然な顔のまま、普段、メールチェックをするような素振りで、グレードアップした機材を立ち上げた。このパソコンと長い付き合いの自分自身も「グレードアップ」したような、するような気分で、画面が浮かび上がってくるのを待った。
「shota」と表示されたアイコンをダブルクリック、メディアプレイヤーが作動、しばらく読み込みに時間がかかったが、じわじわと動画が映し出されてくる。同時に、盗聴器からから音声を取り込むための動作が行われた。電波受信機も動き出す。
「このコンポのスピーカーから聞こえるようにしてやるよ。無駄にいいもん持ってるから勿体ねえ。アンプもあるし大丈夫だろ。」
と翔太は言っていた。高音質で聞くことができるし、部屋の四隅にスピーカーは配置されているから、とんでもないことになる。
見慣れた部屋が映し出される。
依子はいない。
陸は少しがっかりしたが、この時間(午前一時)依子が風呂に入ることを思い出した。そういえばかすかに、陸の貸したCD「BYRDS」の「名うてのバード兄弟」の音に混じってシャワーの音が聞こえる。
陸もその時間を利用して1000円のコーヒーメーカーでコーヒーを入れ、使わなくなったCDラジカセを取り出してきて、「BYRDS」の「ロデオの恋人」を入れた。依子と同調するようなそんなことを期待していた。離れていても一緒だよなんつって。
依子が画面に入ってきた。半裸だ。
自分がいるときは、風呂場の中で服を着てくるのにな、解放感って奴かねと陸は苦笑いした。依子の格好は、全く色気の無い、生理用のパンティーをはいているだけというものだった。その系の盗撮マニアがいたら興奮するだろうと陸は自分を棚に上げた。
依子がブラジャーを着けた。「カチッ」という音。いつもは毎晩のように外していた自分がここにいることを多少、もどかしく感じながらも、陸は興奮している。自然、パンツをずらしている。
外側から、依子の全てを見ている、それは素晴らしいことだった。
依子の一挙手一投足、つまり、トレーナーやジャージを着るという行為も、シャグシャグと歯磨きをしながらメールをチェックする姿も、彼女の大好きなテレビのバラエティー番組を見ながら一人笑うことで陸の不在を感じることも、今、そこにはいない、いるはずの陸のことを思い出して「さびしい」とボソッと言うことも、携帯の画面をじっと見る姿も、何もかも新鮮だった。
依子を全て把握している。
そんな思いが陸を包んだ。セックス行為の中で――特に前戯ね。「薫尼凛虞笥」とかで――、子宮の奥まで覗くことよりも、これで依子という人間が見えてくる。高い位置から見る依子はまさしく、「籠の中の小鳥」だった。上から「のぞく」と、依子が普段、口からは出さない、思いすら手にとるようにわかるような気が、陸にはした。
いつのまにか、純粋な好奇心(性欲)が、高尚な観念論に発展する。気がする。陸は考える。いくぶん、弁護の意味を含めて。ここで、オナニーをすることはセックスの幾倍か素晴らしいだろう。
依子=女性=「溝」の意味がわかるということは即ち、陸にとって自分の「溝」、「奈落」に対する恐怖の解明。
依子は、高校時代から好んで読んでいる村上春樹を枕もとにおいて、灯を消した。
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