| 平穏なる異常事態 依子を観察するという行為が日々の主流になって二週間が経った。
何だか、依子が今までの、一緒に過ごしていたその依子とは異なってきていることを陸は感じている。他人ではない、誰だかわからない女の子を盗み見ているサイトを覗くのとは異なる、微妙な感覚だった。
依子という女性は知っている。知っているどころか「黒子の位置」すら知っている。右胸が左胸より少し大きいということも知っている。男が用を足すとき、女性と同じように紙を使って、先っちょを拭うのだとずっと信じていたことも知っている。
だけど、モニターの中の依子は極めて微妙だった。
「知ってる依子なのだけど知らない依子」
「近くて遠いことを再認識」
「わかっていた気がする依子からのささやかなる反抗」
どう言葉にしても、陸には答えがつかない。しっくりこない。
依子を観察することに飽きたわけではない。確かに依子の日常に変化があるわけではない。だけど、陸には逆にちょっとした会話や変化が面白い。
朝は授業の時間にあわせて起き上がる。本屋のバイトが朝番の時はそれにあわせて起きる。日中は、昼飯を一緒に食べていた陸がいないために寂しいからなのか、節約のためなのか、昼飯を食べに部屋に戻る以外は、大学で授業を受けている。そして、サークル――吹奏楽の本気ではない奴――に顔を出し、バイトが夜番の時は十時半、何もない時は七時半には帰宅する。
訪問者もいる。新聞の勧誘に、NHKの受信料徴収、サークル仲間の萌ちゃんに、同じ学科の綾香ちゃんなどだ。観察一週目に萌ちゃん、二週目に綾香ちゃんがきた。綾香ちゃんと依子の会話。
「依子も大変よね」
「うん」
「陸君も勝手なんじゃないの」
「うん。まあ、けど、ぶっちゃけ倦怠期かなとは思ってたから」
「とにかく飲もう。もうすぐ帰ってくるんでしょ。ホント、帰ってこなかったら浮気しちゃいな」
「うん」
陸は苦笑い。「ああ、倦怠期だったのか」とその会話を聞きながら思う。みんな、何か理由が必要になるものなのです。辛い時に。後から「倦怠期だった」と思えば、倦怠期になる。どんなにやりたかったことでも、あとでみんな「そうでもなかった」ことにしてしまう。陸も少し、「そうだった。倦怠期だったような気がする」と感じ出してしまう。そして、依子の「うん」は何に「うん」なのかと疑問に感じた。この娘は何を考えているのだろう。飲もうに「うん」なのか、もうすぐ帰ってくるに「うん」なのか、浮気しちゃいなに「うん」なのか。おそらく最初の「うん」だ。下を向いて笑顔だったから。観察の結果「下を向いて笑顔の時」は特に何も考えていない時なんだ。
電話もかかってくる。
おそらく、高校時代の同級生で東京の大学に通っている由良さんからだ。陸も電話で話したことがある。
「久しぶり。最近どうなのよ。うん。うん。へえ。えっ? 陸? それが今、姿を消しちゃってるの。ううん。そうじゃなくて。ただ二ヶ月ぐらいいなくなるんだって。お家にもいないらしいの。うん。うん。ひまだけど。バイトがなかったらね。ああ、そうなんだ。合コンみたいなの? うん。そうか、顔合わせみたいな奴ね。はりきらない感じで。うん。相手は? ああ。由良の友達がそろえるんだ。エリちゃん? そうかあ。じゃあ、今何が来るかわからないんだ。ふうん。うん。じゃあ、陸も怒らないよね。え? そりゃあ、気にするわよ。だって別れたわけじゃないんだし。うん。でも、とりあえず今のところ大丈夫。来週の土曜日の七時に新宿ね。うん。けど、陸が帰ってきたりしたらいけないから。うん。とりあえず…。ほんじゃあね。また。バイバーイ」
陸は少し面白くなってきた。と感じた。
超人的な観察者
今日は土曜日、依子が合同コンパに出かける日だ。陸は朝から依子の観察に励んだ。依子は、陸と出会ったばかりの頃のように、綺麗に化粧をしていた。ベースを塗って、リキッド状のファンデーション、そしてパウダー。眼にはアイ・ラインやらアイ・シャドウやら入れていく。しかもそれでいてけばけばしくない。色が淡いからと陸は一人、納得する。口紅は、ウルウルするというベースにオレンジ色を上塗りする。遠めでも、手にとるようにわかる。
陸は俺が言うのもなんだがと前置きして、綺麗だと思う。
「どう見ても、控えめなんだけど、一番目を引くだろう」
一九の割には幼い依子の顔が、その長所を活かし、短所を消す最上の作品に仕上がっていく。
洋服もまた、完璧だ。淡い緑色のパンティーは白いレースがポイントとして入っている。ブラジャーはそれにセットのもの。陸が選んだ。赤よりも少し淡い――朱色? ――地のTシャツは右胸の辺りにライオンとゾウのキャラクターが入っている。スカートは茶色のタイト・スカート。ベルトは白色の太目のもので、ベルトとしての機能よりアクセサリーとしての機能を重視したものだ。それにひざ下までの黒いレースの靴下。それに古着のジャケットを羽織る。ボタンは三つで襟は広く開襟状、色はカーキ、綿製だ。
「これなら誰に見せても恥ずかしくない」
陸は冷静に、そう判断する。
作って時間が経ってもサクっとしてうまいと巷で評判のパン屋で買ったクロワッサンと、ヨーグルトにコーヒーという食事を済ませて、煙草を一本吸い終わると、「さて」といって依子は家を出た。時計は四時半を指していた。
陸は満足して、パソコンデスクを離れた。後は、一一時ぐらいにまた、ここに坐ればいい。その契機は「音」が教えてくれる。ADSL万歳。
時刻は現在夜の十一時四五分。陸は多少、待ち遠しくなってきた。結果はどうあれ、わくわくする。どんな顔して依子は戻ってくるのだろうか? 果たして戻ってくるのだろうか? 「BEATLES」の「LET
IT
BE」アルバムの二曲目が流れている。
慌しく、忙しない音がした。
「大丈夫? 」
「ヨリコちゃんに良く似た婦人警察官が俺を捕まえようとダンスを踊っているんだ」
「はあ。家はこの近くなんでしょ」
「ああ。俺の家は青く塗装され直したばかりで、シンナーの匂いがする。1DKで家賃が六万とちょいだ」
「本当に大丈夫? お水飲んだら落ち着くよね」
「水でもなんでも持ってこいってんだ。コーヒーを入れる気なら濃い目がいいです」
「はい。はい」
依子と陸の家に予期せぬ訪問者。どうやら、この男はへべれけで、依子と帰りの方向が一緒だったのだけど、一人で帰れる様子でもなく、仕方なく依子が自分の家に連れてきたという感じだ。
依子が台所にむかうと、今まで泥のようになっていた男の動きがまともになった。「ふうっ」と大きく深呼吸した。幕間の役者のように。そして顔を上げ、陸の方を見て笑った。本当に純粋な笑顔だった。がここでは「にやり」と表現したほうが良いかもしれない。
翔太に似ていた。
「だいぶ、落ち着いた? 」
「ありがとさん。」
「大通りに出たらタクシーひろえるだろうから。お金はあるよね? 」
「ギリだけど大丈夫」
「よかった」
と依子が言い終えるかの瞬間に、「翔太」は依子を押し倒した。少し陸を見やりながら。 「俺さあ、こんな気持ちになるの初めてなんだけど」
「駄目」
「今日は最初に見たときから、依子ちゃん、可愛いなあって。こんな風になれたらいいなあって」
「駄目」
「彼氏いてもかまわないから。こうしてくれるだけで、俺、幸せだから」
「だめ」
三回目の「だめ」は嘘だ。陸は思う。胸にむかっていた「翔太」の手が「スイッチ」を探り当てたのだろう。依子はここが「スイッチ」だ。
「駄目。駄目。駄目。駄目駄目駄目。駄目。」
といいながら、依子はスカートを脱がされるとき、少し腰をあげた。依子は全裸で床の上に寝ている。
「翔太」の配慮か、キスは抜きで、耳、首筋と舌が這う。ダミーの左胸を経過し、本当の「スイッチ」、右胸の先端に辿り着く。
「だめえ」
と依子が喘ぐ。陸はジャージとトランクスを下ろす。
「気持ち良い? 」
と聞きながら、シタはシタに向かう。下の「スイッチ」はもうすぐそこだ。
「だめえ」
「翔太」の頭が依子の下で動く。動く。動く。動く。
「駄目。駄目。駄目。駄目」
動く。駄目。動く駄目。動く動く駄目駄目動く。高音質で、陸の部屋に響く。動く駄目。動く動く駄目駄目。駄目駄目駄目動く動く動く駄目。
「駄目」と連呼しながら、依子のピンク色の舌が「翔太」の下を口に含む。「駄目」が「はふぇ」に変化する。陸が教えた全てを「翔太」にぶつける。陸より翔太の方が心無しか細い。依子の動きが少し自身有り気になる。「翔太」の右手は下の「スイッチ」を押し続けている。陸と依子の奥底に下が届く。
動く。駄目。動く駄目。動く動く駄目駄目動く。高音質で、陸の部屋に響く。動く駄目。動く動く駄目駄目。駄目駄目駄目動く動く動く駄目。そのリズムに陸の右手も合わせる。
「いよいよだな」と陸は思う。
心なし、まだ抵抗力の見える――「駄目」と言っている――、内股を広げながら、手慣れた手つきでコンドームを設置する。「翔太」の下が依子の下に接近する。触れても「翔太」は萎縮しない。依子は初めての出来事に「駄目」の発音を震わせることで、反応する。快感と恐怖の入り混じった「駄目」。
「ふう」
「だめえ」
「ふう」
三人の声が同調する。「翔太」はとにかく夢中だ。依子は少し痛そうだが快感が勝っている。陸はとにかく夢中だ。
「翔太」の下が完全に画面から消えた。一律の動きの中で「翔太」の下は完全に画面から消えきる時、依子は「駄目」と叫ぶ。奥底に到達しているんだ。陸と依子には初めての快感。
動く。駄目。動く駄目。動く動く駄目駄目動く。高音質で、陸の部屋に響く。動く駄目。動く動く駄目駄目。駄目駄目駄目動く動く動く駄目。動く。駄目。動く駄目。動く動く駄目駄目動く。高音質で、陸の部屋に響く。動く駄目。動く動く駄目駄目。駄目駄目駄目動く動く動く駄目。――体位変換、そしてリフレイン。
陸と依子の奥底に「翔太」と陸が注ぎ込む。陸と依子と「翔太」は快感に打ち震えた。
陸は「翔太」がゴムの根元を縛る作業をぼんやりとした目で見た。
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