「い、至――あんた、何考えてるの……?」
「あいつをこんな目に遭わせた奴がどんなのか、知っておきたいんだ」
何気ない口調だったが、猛禽のような鋭い目付きが彼の激情を伝えている。
「そういうのは警察がすることだよ? 確かにあたしも興味がないわけじゃないから、『視』てみるけどね」
「ホントにすまない、姉貴。そうだ、そこの花屋で花を買ってくからちょっと待ってて」
至は遥の言葉を聞きながら始終地面を睨んでいたが、軽い口調でそう言いながら、花屋に飛び込んだ。遥の口元に笑みが零れる。
「まったく、ムリしちゃって。そんなに落ち込んだところを見せたくないのかしら」
彼女は花屋の前で少し待っていたが、至は店員と話しこんでなかなか出てこなかったからゆっくりと先行し始めた。
「待ってよ、姉貴! 俺は何処に行けば分からないんだよ?」
至は花屋から出てくるなり、かなり先を歩いていた姉に文句を言いながら追いついた。
「レディを待たせておいて何言ってるのよ。それにあたしだって川部の家の近くだとは聞いてるけど、詳しい場所は知らないんだからね?」
「誰がレディだよ、誰が。姉貴はそんな上品なもんじゃないぜ?」
至が混ぜっ返したことで、遥は眉間に皺を寄せた。絶対零度とも取れる彼女の冷たい視線は投げかけられた至の背筋を凍りつかせる。
「お、俺が悪かったよ……ゴメン、姉貴」
至は姉を追いかけたが、彼女が少し早足に歩いているせいか、なかなか追いつけない。
至がようやく追いついた時、二人は閑散とした住宅街の三叉路にたどり着いていた。
「至はこういう近道を知らないよね」
至は不承不承といった感じで頷いた。
――知っているわけが無いだろう!
彼はそう思ったが、それでもどこか見覚えのあるような気がしてならなかった。
「秋穂は絶対に寄り道とかする娘じゃなかったよね? でも、だからきっと、秋穂は昨日――」
遥は空を仰ぎ見た。至も姉の真似をして曇天を見る。
「この道を通ったっていうんだな?」
「おそらくね。普通に通りを歩いたところで人気がなくて暗いのは同じだから」
「それなら、こっちで駄目だったらその遠回りな方を通って帰るということで」
二人は再び黙々と歩き始めた。
彼らの心の中はすでに掻き曇り、いつ雨が降ってもおかしくない状態だった。お互いにそうした空気を感じ取っているから、最期の均衡を崩さぬよう黙っているのだ。
その道は林と林の間に出来た車一台通るのがやっといった感じの舗装された道だった。右側はちょっした崖になっていて赤茶けた土が剥き出しになっている。
一種の切り通しのような道だった。街灯の間隔が非情なまでに広い為、この辺りに一本しかない街灯はその切り通しの中ほどにでんと立っている。
「ここを夜中に一人で通ってるってのかよ」
至は思わず苦笑していた。肝試しでもあるまいに、これなら自分が送っていって遠回りな道を行く方がよっぽど安全だろうと思ったからだ。
「そういうこと。でもしようがないよ。あたしだってあの静かな住宅街を一人で帰ってるんだから。ふーん、秋穂には同情しても、あたしには同情しないんだ」
「別にそんなこと言ってないだろ」
二人はそう言いながら、その切り通しから今度は小道、次は十字路と入り組んだ迷路を走破するように進んで、徐々に視界が開けていくことに気付いた。
戸井川沿いの砂利道に出たのだ。
一瞬だけだったが、遥が晴れやかな表情を浮かべた。それは彼女も内心ではこの道を通ることをあまり好んでない証拠である。
「俺ならこんな道絶対に分からなかったろうな。まあ、俺は一回通った位じゃ絶対に覚えきれないような気がするけどね」
遥の顔が少しほころんだ。少しだけ機嫌がよくなったらしい。
「普通ならさ、秋穂もさっきの分かれ道で戸井川に沿ってる方を行くんだ。でも、そうするとこの倍くらい時間が掛かるから、急いでる時とかはこっちを通ってるのよ」
至が遥の話を聞きながら腕時計を見ると、三叉路のところからここまで六、七分と言ったところだった。普通に行けば十五分くらいかかるのかもしれない。
「だとしたら、ここを走り抜けて帰った可能性もありそうだな」
「やっぱり、至もそう思うでしょ?」
遥は我が意を得たりと満足そうだった。
「姉貴。でもそうすると、ここから家に帰るまでで殺されたってことになるんだぜ?」
「…………ウソ。だって、ここから――、ほら、あそこが秋穂の家なんだよ? それじゃあさ、きっと昨日は逆の方で帰ったんだよ。きっと」
しばし絶句した後で、遥は慌てて言葉を継ぎ足した。実際には遥の言葉の半分くらいは至の耳には届いていなかった。ふと目に留まった遠くの光景のある一点にじっと目を凝らしていたのだ。
「――ったく、なんてこった!」
遥が指差していたのは戸井川沿いのこじんまりとした家だった。至もその家の外観には見覚えがある秋穂の家だ。おそらくここから五分と離れていないだろう。
だが、それよりも少し手前に人が集まっているのを至の双眸が捉えていた。
舗装されていない道路の側には赤く錆びたバス停があり、その前、本来ならばバスが停まるはずの空間に立ち入り禁止の囲いがあったのである。おそらく坂から秋穂の家までの真ん中くらいにあたるのではないだろうか。
至は猛進して囲いのところにやってきた。その勢いにロープの周りにたむろしていた人たちが一瞬何事かと言わんばかりにどよめいた。
人だかりと呼ぶほどのものではなかったが、十人くらいの人がロープが張られた一帯に群がり、警察官が何人も警戒に当たっている。
人の集まりが少ない一角で、至は黄色と黒の縞模様のロープを握り締めながら目の前で繰り広げられる不愉快な光景を眺めていた。
見慣れた砂利道の上にはテレビなどでしかお目にかかったことが無い、事件現場の風景が広がっていた。怒号がそこここで溢れ返っており、警察官は額に汗を浮かべながら忙しなく動き回っている。
そしてその人の輪の中心に人を形取った跡が白線で描かれているのが一際目を引いた。非日常的な映像と日常的な生活という飛び越え難い隔絶を至は痛切なまでに感じた。
目の前の事件現場が、川部秋穂の殺害現場だということは周囲の話に少し耳をそばだてなくても容易に推測できることだったから、彼の苦しみはなおのこと深かった。
「至。ここが……?」
遥の顔も痛ましいくらいに蒼白だった。
普段ならば姉に対して少しばかり配慮できただろうが、今は至も他人を心配するゆとりがないほどに激しく狼狽していた。
「あの時とは、趣きも勝手も違いすぎる……たった一ヶ月で、ううん、たった一日で場の雰囲気ってこうも変わるものだったのか?」
至は悔しそうに顔を歪めた。血よ流れよとばかりに拳をきつく握り締めた。
一方遥はその場に腰を下ろし、尻餅をつきながら目の前の光景を眺めるばかりで、至の言った意外な言葉の深意に気付かなかった。
「そんな……ここ、秋穂の家のすぐ近くなんだよ? どうしてここで――」
遥の目から大粒の涙が零れ落ち、彼女は顔を真っ赤にしながら伏せた。
他人に泣き顔を晒したくないというのが彼女のせめてもの誇りだった。
「こんなことってあるのかよ……」
至は苦虫を潰し、心が荒れていくのを感じながら、だがこういう無情な殺され方もある、と心の中で自分に言い聞かせていた。
だいたいマスコミが騒ぐような事件というのには自宅で殺されたという話だってあるのだから。それでも遥の方が悲劇的に思えてしまう。
もし自分が付き添ってやっていられたなら――。
時の流れに『タラレバ』は付き物で、そして考えたところで何の役にもたたない。
日本史の授業中、そんなことを考えていた自分を思い出したが、今は、せめて今だけはそうした幻想に身を委ねておきたかった。
もし至が側にいたならば、彼がどういう目に遭おうと、これしきの距離の安全は保障できたのではないだろうか。複数の犯人だったとしても相手の注意を一時的にこちらに引き付けておくことぐらい、何とかなったのではないだろうか。
遥も憤りを感じていたが、それ以上に彼女は不安を感じていた。
彼女の方がまだ人通りのある道を通って塾から帰ってくる。それに秋穂よりも駅から近い。だが、それがどうしたと言うのだろう。
――家のすぐ近くで秋穂はこうして殺された。
自分がそうならないとは誰も保証できないのだ。周囲に気を使いながら帰ってこないと容易に餌食にされかねないのだと思うと肝も冷える。
遥は無意識の内に至の方に視線を向けていた。彼女にしては珍しく弟に救いを求めるような視線だったのだが、彼女自身はそうしたことに気付いていなかった。
「姉貴、大丈夫か? 何かメチャクチャ顔色悪いぞ」
至の顔色も決してよくはない。だがその至がすごく心配しているのだからよほどヒドイ顔をしているのだろう。
「平気よ。それよりさ……やっぱり『視』なきゃならないの?」
遥は戸惑いを隠そうともせず、不満も隠さないでそう言った。
「…………頼む」
口の中で声を出しているかのようにか細く、こもった声だったものの、至の声はやけにはっきりとしていて、彼女にはとても心強く励まされているような気がした。
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