第 1 回
だから、どうかしているんだと思う。ただの蛙についてのはなしが、面影とか変な既視感とかそういう感傷めいた過去形以上だとしたら、と。もし本当にどうかしてそうだったとしたら、ぼくはつとにどちらかの反応をせざるをえなくなるに決まっている。ましてぼくはその彼女のこと、つまり蛙ではなくて高梨のことがあまり好きではなかった。それもけっこうあからさまに好きではなかった。したがって、高梨と蛙とがぼくの頭のなかできっちり直列つなぎになってつながったとき、それなりに蛙のほうをもまた毛嫌いしてしまっても不思議ではなかった。むしろ、そういう段階を踏んで、ひとが嫌いなものをやみくもに増やしていくことはうんとありえることなのだが、それが嫌いなものの連鎖である必要はないといえば別にない。
現実の蛙に関していえば、幸いにも、これといった感情を抱いたおぼえはほとんどない。好きでも嫌いでもなかった。中学二年のとき友だちになったゼンちゃんの家の裏手には水草で鬱蒼とした小川らしきものが流れていて、夏の夕方、ゼンちゃんと縁側で将棋を指していると、牛蛙の鳴き声がギィコギィコととてもうるさかった。それでも、ぼくがその牛蛙たちに対して、ひいては蛙一般に対して激情的な殺意やら生理的な嫌悪感やらをもったというふうなことはない。ぼくはゼンちゃんと一緒に、たとえ彼の耳にその牛蛙たちの喧騒があまり届いてなかったにしても、やはりゼンちゃんと一緒にその場にいて、そのギィコギィコを聞いていた。だから、そこでぼくが比較的穏やかな気持ちでいられたとしても、当たり前すぎるといえば当たり前すぎる。これがゼンちゃんとではなくて万が一にでも高梨とだったとしたら、日本での牛蛙の種の保存はあまねく危急存亡、保証の限りではないところだが。
ゼンちゃんの家は木造の平屋で、正確にはそれはゼンちゃんのおじいの家だったのだが、とにかくそこには縁側があった。その縁側の鎧戸は、晴れている昼間でも、いつも片側半分までしか開いていなかった。ようするに、立て付けが悪化して、片側の鎧戸が動かなくなっていた。家屋全体の新しくなさを思えば、その不具合はおよそ合点のいくところではある。ただ、いつからそうなっていたのかは知らない。ぼくがゼンちゃんに会う以前からそうなっていたことだけはたしかだったけれども、それが少し以前からなのか、それともずっと以前からなのか、そこまでは知らなかった。
したがって、というのも変だが、縁側の空間は鎧戸のその一途さのために実際以上にせまく感じられた。しかも、ゼンちゃん自身、ぼくとちがって、中学二年にしては一人前以上の体躯をもっていたうえに、手足がにょきにょきと長かったから、なおさらだった。敷居の向こうはすぐ外なのに、変な圧迫感があった。ぼくはそんな感覚をいつも受けていた。だが、逆の感覚がその圧迫感を相殺した。ゼンちゃんの細くて長い足は片膝を垂直に立てている。その切り立った鉄塔の彼方から、悪魔じみた植物のつるのような腕がするするっと伸びてきて、迷いなく五角形の将棋の駒を捕らえる。そのとき、ぼくの向かいにいるその彼の目線は少しだけ将棋盤からずれていて、卑猥な白昼夢に酔いしれているかのように妙に艶っぽかった。すると、ぼくの感覚という感覚はちょうど麻薬的な音楽のようなものによってどこかへ連れ出されていく……。
もちろん、十四才どころか、二十才をすぎて随分月日がたつのだから、ふだん、ゼンちゃんの家の鎧戸のことなど思い出す機会は少しもない。なのに、ゼンちゃんとしょっちゅう将棋を指していたということはそんなに思い出さなくなくもない。飽きもせず、ひねもす指していたこともたびたびだった。
将棋の腕前についてはあまり触れたくないが、ようするにぼくはからっきしだった。逆に、ゼンちゃんのほうは客観的にいってもけっこう強かったと思う。あるいはぼくがいないときにも、暇を見つけてはおじいの指南のもとでそうとう指し込んでいたにちがいない。その頃、ぼくはぼく自身の祖父と一緒に住んでいなかった。だから、というのも負け惜しみくさいが、ぼくがゼンちゃん相手に将棋で勝ったことは一度もない。ただの一度も。
いったい、幾十局、幾百局指したのだろう。ゼンちゃんはいつか、ぼくにはオセロのほうが向いているといった。声はそうでもなかったが、目は笑っていなかった。それは白昼夢に落ちていたあの目でもなく、どちらかというと進路相談のときに担任の先生がよく見せる、その手の目に近かった。いや、近いには近かったが、でもまさしくそのものというわけでもなかった。
あのとき、ゼンちゃんがオセロがどうのと口にしたのをぼくはどういう気持ちで聞いていたのか、いまとなっては判然としない。あるいはただ単純に、ああそうか、オセロのほうが向いているのかというくらいにしか思わなかったかもしれない。いまのぼくなら、そう思う可能性は限りなく高い。
ゼンちゃんのおじいからは一度、相撲取りにだけはならんほうがええよと忠告されたことがある。ぼくの身体つきを見れば、この忠告ほど完全に見当はずれなものもなかなかない。杞憂といってもいいすぎにはならないと思う。つまり、ぼくには身長もなければ体重もなかった。たとえ相撲取りになりたいと願っても、新弟子検査がそれを許さないことはまず間違いなかった。だから、それはたぶん冗談だったのだろう。ぼくは多少面食らいながらも、声が裏返らないように注意しながら、お相撲にはなるべくならんようにしますと答えた。それから、
「おじいは」と続けざま聞き返してみた。「むかしはなんのしごとしよったん?」
ぼくにしては、わりとはきはきと聞き返せたと思う。縁側の鎧戸はやはり半分だけ閉じたままだった。夕闇が近づく。牛蛙がまるで大量の幽霊と交信せんとばかりにあちこちで鳴く。焚かれていた蚊取り線香の煙が風にそよがれて揺らめく。そのとき、ゼンちゃんのおじいは縁側の隣の部屋にいて、あまり映りのよくないテレビでNHKの大相撲中継を観ていたか、あるいは中継は終わったばかりで、そのテレビが続いて流す夕方のニュースを眺めていたかしていた。そのへんは殊更あやふやで、いまいちはっきりしない。
白髪頭、細目、ゼンちゃんと同じかたちをした唇をもつ、そのしなびた老人は猫背の背を丸めてあぐらをかいていた。本当にやせていて、肘や膝の骨が蜂の巣のようにひどく出っ張っていたのをやけにおぼえている。
「宇宙船の船乗りよお」と彼はテレビのほうを向いたままで喋った。ぼくは彼の平たく青みがかった唇の動きを逐一目で追っていた。それはなぜか機械的な動きだった。そのとき、ぼくは思わず吹き出してしまったのだが、それはゼンちゃんのおじいの返答に対してだともいえるし、仕掛け人形のような彼の唇の運動に対してだともいえる。もしくは、ゼンちゃんのおじいの意外に甲高い声と飄々とした雰囲気とが醸し出していたずれに対して――それはまたそのときのぼくの白濁とした気分とのずれでもあったのだが――、ようするに、ぼくはそうしたいろんなことを一度に笑っていた。ところが、ゼンちゃんはくすりともしなかった。将棋盤のうえには、成りあがった駒という駒の赤さが一際目立ち、その赤さは同時にぼくの旗色の悪さを証し立てていた。
どうしてゼンちゃんはあのとき笑わなかったのだろうと思う。ただ単純に、ゼンちゃんがぼくとおじいのやりとりに耳を傾けていなかっただけなのかもしれないが、正直なところ、その可能性はほとんど信じられない。というよりも、信じる気が起きない。ややもしてゼンちゃんが真剣に将棋に集中していたならはなしは変わってくるのだろうが、なにしろこの将棋の相手こそぼく自身だった。少なくとも、ぼくを相手にゼンちゃんが目を血走らせて将棋を指していたということなど一度もなかった。それとも、牛蛙たちのギィコギィコがおじいの声をかき消してしまっていたのだろうか。もっといえば、牛蛙の声が大気中を伝染して、宇宙に届くことなどありえるのだろうか。ぼくはその可能性も信じたくなかった。そして、あのときのどうしてはいまもぼくの頭のなかでもつれたままでいる。
いうまでもなく、これはぼくとゼンちゃんとおじいと、ついでにいえばギィコギィコについてのぼくの記憶であって、しかもかなり心許ない断片の集積であって、高梨とは一切関係がない。たぶん、金輪際無関係なままなのだろう。実際のところ、高梨がもし望んでいるとすれば、それはずっと堅実的で、確証的で、なおかつ奇跡的な蛙のはなしに他ならないのだから。
たとえばあるとき、ゼンちゃんの家からの帰りがけに、道の舗装部分ぎりぎりのところでひっくり返ってもとに戻れなくなっていた小さな雨蛙を見つけたことがある。具体的にいつだったか、ゼンちゃんからオセロ向きだと褒められた日だったか、あるいはおじいから相撲取りは生まれ変わったらなればいいと励まされた日だったか、そのへんのところはよくおぼえていない。ただ、その日は雨の降っていない日で、昼のあいだずっと日差しがきつくて、日が暮れてもまだそうとう暑かった。アスファルトの道は乾いていた。雨蛙は蝉の抜け殻のように小さかった。手足を小刻みに震わせている。真っ白い腹だった。ぼくはしゃがみ込んでその白さをしばらくまじまじと観察した。それから、小指の端を使ってその脇腹をちょんと弾いた。雨蛙は本来の体勢を回復し、ぼくと目を見合わせた。案外一瞬目が合った気がしただけだったのかもしれないが、ぼくはそう感じなかった。堂々とした面構えだった。その面構えに気圧されてか、むしろ安堵感で胸を撫でおろしたのか、とにかくそのときのぼくの胸中ときたら、その雨蛙に対して心底お礼を述べたいような厳粛な気持ちで充たされてしまっていた。終戦記念日でもこうはならない。もちろん、この雨蛙との経緯についても高梨とはなんの関係もない。
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