緑色のタフネス

 

 山本健一      

      1

 2002年6月16日22時10分過ぎ。水原で行なわれていた試合はすでに残り時間が10分を切ろうとしていた。もしW杯をテレビで見ていた人がいるならば、彼らは選手の一挙手一投足にやきもきしながら見ていたのではないだろうか。
 スペイン対アイルランド。
 この試合はBグループを1位通過してきたスペインとEグループを2位で通過してきたアイルランドの大会ベスト8を賭けたものだ。それ故に生き残りをかけた息詰まる熱戦になるのではないかと考えられていた。
 そんな観客たちの予想通りの激しい試合が行われていた。選手たちにとっては実際に精神が擦り切れるようなキツイ試合だったろう。もし仮に残り時間が10秒を切っていたとしても、いやそれ故にこそ、スペインのDF陣は生きた心地がしなかったはずだ。
 「不屈のライオン」と称されるカメルーンを蹴散らしてここまで勝ち抜いてきたアイルランドのサッカーはそのような恐怖感を抱かざるをえないものだった。
 欧州予選ではポルトガル、オランダといった強豪のいる過酷なグループに入ったものの終わってみればオランダより一つ上の2位。イランとの過酷なプレイオフを1勝1敗で乗り切っての本選出場だった。
そのような状況から、Eグループはアフリカ王者カメルーンと欧州予選では精彩を欠いていたドイツが復調して1,2位を争うだろうと考えられていたのだ。

 しかもアイルランドにはW杯開幕の1週間ほど前からさらなる逆風にさらされていた。
 マンチェスター・ユナイテッドとアイルランド代表で主将を務めるロイ・キーンがマッカーシー監督との確執から代表を追放されたのである。これは日本のマスコミも取り上げたもので、首相が両者の仲介を取ろうと名乗り出たものの徒労に終わっている。
 欧州リーグの疲労が溜まっている選手たちにリフレッシュしてもらおうと行なったサイパンでの合宿でロイが練習の内容に不満を口にしたというのが事件の真相だった。もっともロイを弁護しようという選手が一人もいなかったことから見て、マッカ―シー監督の意向が正しかったのかもしれない。
 しかし空中分解しても何らおかしくなかったこのチームが決勝トーナメントまで駒を進めてこれたのはこの事件が残りの22人の選手の結束を強めたからだろう。
 もっともそれは結果論でしかない。
 アイルランドがもし初戦で負けていたならば、この快進撃はなかったに違いないことだからだ。概してある大会における初戦は何にもまして重要だとされる。その言葉通りアイルランドとカメルーンの明暗を分けたのは初戦だった。


      2

 その運命を分けた初戦は6月1日に新潟で行なわれた。少し話が脱線するが、この試合は日本における開幕戦であり、主審も日本人の上川徹さんが務めるという非常に歴史的な試合でもあった。
 最初にリズムを掴んだのは、日本でもおなじみのエムボマ率いるカメルーン。
 ワンツーパスから若手有望株のエトーがDFラインを切り裂いてGKとの1対1の局面に持ち込んだのだ。ここはイングランドで活躍しているGKギブンのプレーで凌いだものの、TVで見ているサポーターは思わずヒヤッとした場面だったろう。
 だが、その後もカメルーンにゴール前まで攻め込まれる場面がこの試合ではたびたび見受けられた。その原因ははっきりしていて、アイルランドがエトーの速さについていけなかったのである。別にDFラインが脆いというわけではないのだろうが、前半は裏を取られる場面が多すぎた。エトーの不正確なフィニッシュのおかげで辛うじて無失点で抑えているという感じだったのだ。
 しかし前半の39分に均衡は破られる。
 右サイドでボールを受けたエトーがドリブルでアイルランドのDFをかわし、ペナルティエリアへ切り込んできたのがきっかけだった。
 エトーに対して2,3人がチェックにきた瞬間、ゴール前でずっと待ち構えていたエムボマへグラウンダーの速いパスを送った。
 エムボマにもちゃんとマークはついていたが、エムボマは倒れこむようにしてゴールの方へボールを転がした。低い弾道の強烈なゴロだった。シュートというよりもゴールへのパスと呼んだほうがふさわしいファインゴールでカメルーンが先制点を奪ったのだ。
 だが、後半になるとアイルランドの動きが良くなってくる。
 後半開始早々、アイルランドがサイド攻撃をうまく展開出来るようになってきたのだ。前半終了間際にはカメルーンが思い通りにサイドを破っていただけにこれは意外な光景だった。もっともまだゴールまでは遠く、カメルーンは自陣の深いところでもぎ取ったボールから何度か相手陣内深く攻め込もうとはしていた。
 しかし52分、決定機を掴みきれずにいたアイルランドにチャンスが巡ってきた。
 敵陣深くから折り返してきたクロスへ走りこんできていたMFホランドがミドルシュートを放ち、試合を振り出しに戻したのだ。ペナルティエリアにもまだ足を踏み入れていない、少し距離があるところからだったものの速い弾道だったことが幸いしたのだろう。

 マット・ホランドは守備的MFである。本来ならばロイ・キーンと共に中盤で相手の攻撃の芽を摘むはずだった。そんな選手が決めたゴールだから、ロイがいなくても俺たちはやれるんだという選手たちの想いが確信に変わったのかもしれない。
 このゴールで俄然試合の行方が分からなくなった。お互いに相手ゴールを脅かす場面が増え始める。しかも70分には大黒柱のエムボマが交替。
 明らかにアイルランドに追い風が吹き始めていたのだが、交替して入ったスフォーたちカメルーンの攻撃陣もチャンスを作り出していくもののなかなかゴールを奪えない。
 そんな状況下で迎えた82分だった。
 アイルランドのFWダフが俊足を活かしたドリブルで左サイドをうまく崩してセンタリングを上げた。カメルーンは辛うじてクリアするものの少し小さかった。
 そのこぼれ球に真っ先に反応したのはアイルランドのエース、ロビー・キーンだった。
 彼の強烈なシュートは態勢の整わないカメルーンDFの脇を掠めていったものの、ポストに弾かれてゴールラインを割ってしまった。
 決定的と呼べるようなチャンスはこれが最後だった。
その後も互いに攻めあったもののゴールを奪うことはできず、上川主審の笛が鳴った。
 しかし自分たちはやれるという自信を手に入れて初戦を終えたことが非常に大きかったであろうことはその後の粘り強い戦いぶりが証明している。

 

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