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 さて、この決勝トーナメント一回戦において、アイルランドはすでに絶好の決定機を一つ逸していた。62分、右サイドからまだ若いダフがドリブルで仕掛けたときに、スペインのDFファンフランの足が引っかかってしまいPKを取られてしまったのだ。
 蹴るのはFKの名手としてイングランドでも定評のあるハート。
しかし左サイドに飛んだボールはGKカシージャスに弾かれ、そのこぼれ球を押し込もうとしたアイルランドのキルバーンも太ももに当ててしまい、あらぬ方へ飛ばしてしまったのだ。
 せっかくの同点に追いつく好機を逸したことで流れを掴みかけていたアイルランドのムードが悪くなる可能性も、そこにスペインが付け込める可能性も十分にあった。
 しかし、アイルランドの選手たちは前がかりになってひるまずに攻め込んでいく。スペインも少し上がり目のポジションを取ったアイルランドのDFの裏に飛び込んだり、いいセンタリングを上げたりと追加点を取って息の根を止めようとはするが、しかし詰めが甘くなかなか二点目が取れない。
 オフサイドに引っかかる場面がたびたび見られたが、中にはキワドイ判定のものもあってきっと選手もツキのなさを感じたことだろう。もっとも線審の誤審らしいシーンがあったわけではなかったが。
 そしてPK失敗から10分ほど過ぎたとき、スペインのベンチが動いた。先制点を決めたFWのモリエンテスを下げてMFのアルベルダを投入してきたのだ。これは守備固めととってもいい交替だった。モリエンテスのプレーは決して悪くなかったのだからそれは疑いようがない。モリエンテスがゴールを決めたのは前半8分。
 相手ゴールエリア付近で得たスローインから右サイドバックのプジョルが味方選手とワンツーパスで抜け出してセンタリングを送り、モリエンテスが二アサイドで合わせてゴール左隅に流し込んだものだった。一連のプレーが迅かったためにスペインの選手に対するアイルランドDF陣のマークが外れてしまったのが原因だった。
 私はこの点数の取られ方を見て、少し気になるところがあった。
 実は対カメルーン戦でエムボマに取られたゴールも起点となったプレーは右サイド――つまりアイルランドの左サイドだったことだ。この両試合とも自陣の左サイドをケアしなくてはならなかった選手は奇しくも前述のハートとMFのキルバーン。今にして思えばこのイアン・ハートの不調こそがロイ・キーンの欠場以上の、それこそアイルランド最大の誤算だったのかもしれない。
 実際にFKのチャンスでハートの足が火を噴いたのはサウジアラビア戦の後半、1点リードの場面での1回だけだったのだから。

 さて、モリエンテスが下がったことでアイルランドの意識はさらに攻撃的になった。それに臆してか、カマーチョ監督はさらなる安全策を取ろうとした。
 79分、エースのラウルを下げて新鋭FWのルケを投入してきたのだ。
 足を傷めていたとはいえ、ラウルは1プレーで流れを変えられる世界有数のタレントの持ち主である。ルケがカウンターのために待ち構えて、そしてアイルランドの選手に対し激しいチェックを仕掛けていったとしてもラウルほどの怖さはない。
 5年前のW杯アジア最終予選で日本が韓国相手に国立競技場で逆転負けを食らった時も韓国の反撃のきっかけになったのは他でもない監督の「弱気」な采配――つまりまだ試合時間が十分に残っているのに前線の選手に替えて守備的な選手を入れたりすること――だったことは日本のサッカーファンの多くが未だに記憶の片隅に留めていることではないか。
 案の定それから1分と経たないうちにアイルランドはダフのミドルシュートがスペインゴールを脅かした。しかしボール半個分左にカーブしていったものの、決まっていても何らおかしくないプレーだった。
 さらに83分にもチャンスが巡ってくる。キーンがペナルティエリアでDFの群れから抜け出しかけたのだ。この試合、キーンは前半終了間際にもゴールを背にしてオーバーヘッドでゴールを狙っていた。そんな彼の積極的な性格を考えればゴールを狙ってくるのは明らかである。だからでこそGKもシュートコースを防ごうと前に飛び出してくる。
 キーンもそのことを予想してGKの頭越しにループシュートを放とうとした。
 だがボールは弧を描くまでもなく、飛び出してきたGKにぶつかってチャンスは一瞬のうちに潰えてしまった。もしGKが飛び出してくるのを一瞬でも躊躇していたら競技場内にアイルランドの国旗がはたみめいていたのは疑いようがない局面だった。

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 このような危機的な局面をアイルランドはすでに予選リーグの2試合目に経験していた。6月5日にカシマで行なわれたドイツ戦である。
 アイルランドは前半19分、DFラインの裏を狙ったロングボールに前がかりになっていたDFが戻りきれず、ドイツFWクローゼの見事なヘディングによってまたも先制点を奪われていた。サウジアラビアとの試合でハットトリックして一躍有名になったこの新顔の点取り屋にアイルランドの選手たちが細心の注意を払っていたのは間違いない。
 だからでこそDFラインのポジショニングには悔いが残る場面だった。
 それ以降、ヤンカーやバラックが1対1の局面に持ち込んだりと決定的な場面を何度も招いたもののギリギリのところでアイルランドの守備陣がゴールを割らせなかったことを思うとなおさらだった。
 しかし、その1点がアイルランドには遠かった。
 中盤からDFラインにかけての速いチェックに苦しんだもののシュートを撃てる局面までは持っていける。しかし、そのシュートがことごとくGKに防がれてしまうのだ。
 今大会最高のセーブ率を誇るオリバー・カーンの牙城を崩すことができずに時間だけが過ぎていったのだった。
 お互いに決定機を掴みながらもてゴールを奪えないなか、後半も残り時間10分を過ぎてからアイルランドがDFの裏を取る場面が増えてくる。
 82分、ペナルティエリアでDFの網を抜け出しかけたロビー・キーンがシュートを撃とうとしたもののGKカーンが飛び出してきて阻まれてしまう。87分には途中出場のベテランFWナイアル・クインがうまくボールをキープしてループシュートでゴールを狙うがバーを越えてしまった。さらに88分にはロビー・キーンがヘッドでゴールを狙ったがカーンが胸に当てて防いでしまう。
 そして90分が過ぎて残るはロスタイムのみという状況になった。
 ロスタイムが4分と第4審判から表示される。少し長めではあるが、決め手に欠くアイルランドの選手たちにとっては決して十分ではない時間と云えた。
 アイルランドの戦術の特徴はロングパスを多用するところにある。中盤から、そしてサイドからの質のいいクロスボールに対して長身のベテランFWクインがうまくポスト役をこなし、エースのロビー・キーンにチャンスを供給する。
 戦術としては至ってシンプルなものだが、クインの職人技ともいえるポストプレーを対戦相手が封じ込めることはW杯いう大舞台といえども不可能だった。

 そしてロスタイムもあと2分という状況になって、その戦術がものの見事にはまった。
 92分、ハーフウェイラインより少し前目のところからクインめがけて超ロングパスが放り込まれる。クインが競り勝って、ゴール前に走りこんできたロビー・キーンの前へうまくボールを落とした。
 しかし彼の前にはドイツのDFが二人、さらに鉄壁の守護神カーンが待ち構えていた。ロビー・キーンがボールをキープした瞬間、ドイツDFの要でもあるラメロウがスライディングタックルを浴びせるが、それをうまくかわす。そしてカーンが飛び出してくるよりも早く強烈なシュートがドイツゴールへ撃ちこまれた。
 キーンの足から離れたボールはゴールネットの右サイド中ほどに決まると滑り落ちるようにして左スミへと転がっていった。キーンがクラブチームでもおなじみの宙返りのパフォーマンスをして喜びを爆発させる。それと対をなすかのようにカーンが疲れきったかのように倒れこんでいる。
 この弱冠21歳のエースのW杯初ゴールの意義はこの後のドイツの戦いぶりを考えると非常に価値のあるものだった。カーン率いるドイツ守備陣が点を取られたのは決勝戦までの7試合で僅かに3点でしかなく、ロビー・キーン以外でカーンからゴールを奪えたのは世界最高のFWにして今大会得点王のロナウドしかいなかったのだから。

 

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