双子が松枝に出会ったちょうどその頃、葵を取り巻く状況にも変化が見え始めていた。葵は俊慶相手に数分間防戦一方になりながら、ようやく最初の反撃を行ったのだ。
「お前の弱点はもう分かっているんだァッ!」
 もの凄い突風が葵の前髪をかき乱し、一瞬だけだったものの逆立たせた。同時に巻き起こる風の壁を突き崩す銃声とそれをも打ち消すような快哉。葵が俊慶の斬撃を紙一重でかわし、反撃したのだ。
 だがすぐに失望の色を隠せずに葵が短く息を飲んだ。刀身を狙った葵の渾身の一発も、俊慶は刀を庇うように腕で弾を受けられたからだ。
 葵は十分な間合いを取り、再び銃を構えながら悔しさに歯噛みして俊慶を睨みつけた。
 彼は俊慶の渾身の突きを完全にかわしたはずだった。あの二つの体が交差した瞬間、葵の銃弾は確実に侍の刃の先端を捉えたはずだったのだ。俊慶がそれこそ金メダリスト級の反射速度で右手を突き出したことで刀身まで弾が通らなかったのだろう。
 腹立ち紛れから当たるはず無いと分かっているのに、葵は立て続けに撃った。連射するつもりだったが、一発目の後すぐに弾切れを意味するカチカチという虚しい音が響く。
 何の考えも読みも無い行き当たりばったりの銃撃で決着が着くはずなかった。
 五分近く俊慶の猛攻を耐え抜いて、ようやく掴んだ絶好機を活かし切れなかった自分がどうしても許せなかったからだろう。
――俊慶の弱点。
 それは生方姉弟との出会いと一ヶ月に渡る資料との睨み合いの成果だった。
 LOSとKPCが絶対に放っておかないだろう彼女の『能力』が江戸時代の人斬りが犯人だと告げたことが経験豊富な先輩方よりも先に真相に辿りついたポイントだろう。
 遥は自分の能力を打ち明けることにかなり迷ったようだが、葵は真相解明に繋がるのならばと職場にも報告しないと約束して彼女を安心させた。打ち明けられた『能力』の大きさに内心舌を巻いたものの彼は彼女の語ることを信じ、人斬り俊慶がどうやって実体を持ったのかを突き止めることにした。
 そのために葵は遥が『視』た半透明の俊慶の描写を踏まえながら今までLOSが扱ってきた事件の報告書を片っ端から読むことにした。
 その時彼の思索の網に引っかかってきたのが、もし幽霊が実体化するとしたら何か媒体が必要なはずなのではないかということだ。
『媒体なくして物に触れることはできない』
 そう書いてあったのはかつて幽霊を自由に実体化させて人々を楽しませていた道化師の青年とその『能力』に関する報告書だった。
 蘆田の死に始まる今回の連続殺人事件では俊慶の媒体とは何だろうか。
 媒体を壊せば稀代の人斬りとはいえ、こちらに干渉できなくなるはずだ。
 一つ不安があるとしたら媒体なしで実体を与える『能力』の持ち主がいたらどうするかということだったが、扇ヶ沢神社で聞いた話を思い出して葵は不安を打ち消した。
 人斬り俊慶と刀のことを尋ねた少年――。
 つまり彼は刀と人斬りの結びつきを知っているのだ。さらに媒体はできるだけ実体化させる不可視の存在に縁のあるものの可能性が高いと書かれていたことを考えると、早計でひどく御都合的だが今回の事件を引き起こした『能力』者だと考えられなくも無い。
 そう思って彼を探そうと思ったものの、二週間くらいではとても無理だった。
神主を始めとして誰もその少年の姿を覚えていなかったし、彼らの語った少年の印象もまちまちだったからだ。
 実は葵は初め『媒体』は砂ではないかと考えていた。
 遺体は焼かれたら、やがて砂塵となって大地を舞い散っていくものだからだ。
 とはいえ、今回はその説も説得力が無かった。至たちに話した通り、岩佐俊慶は殺された時、切り刻まれて川に投げ込まれたのだから。そのことを考えると風化するわけがなかった。葵はそこで考えを改め、媒体は何かもう一度自問した。そうなると、折悪しく――葵にとってはたいへんありがたいことに――この時期に欠けて発見された扇ヶ沢神社の『刀』というものがクローズアップされるのだ。それに、もしそれが岩佐俊慶の愛刀であったなら媒体にして俊慶が復活する可能性も十分にある。
 そこで、カルテにもあったあの異常な死因の説明がつかないことが喚起される。
 被害者の死因はどれも内臓だけが破裂したことやショック死だった。破裂したような傷跡は鋭利な刃物で切り裂かれたものにも見えると司法解剖を担当した河内医師が言っていたことも葵は鮮明に思い出した。
 だが、葵は資料室に篭っている際に一つの仮定を思いついた。
――体の中を突然、鋭い刀の破片がすり抜けたとしたらどうなるだろうか。
 つまり実体化する際の『媒体』であり、岩佐俊慶の核となっているものは刀の先端部にある破片なのではないかということだった。
 水上が、そして葵自身も思い違えていたことに気付いたのだ。
 それは実体化とはあくまで生ある者に幽霊が生きているかのような錯覚を与えることができるという程度のものであって実際に生き返らせるわけではないということだ。
 それなのに何故物理的な干渉ができるのか。
 その不可能を可能にするトリックこそが媒体の存在なのである。
 ここで言う物理的な干渉の大抵は媒体との触れ合いによって擬似的に知覚されているだけに過ぎないのだ。そしてその媒体の特性をちゃんと考えれば、葵や松枝が気付かなかったのが可笑しいくらい単純明快に答えは出てきたのだ。

 仮にそうだとして何故外傷がまったく見当たらなかったのか。
 
 だが今にして考えてみるとそれこそが実体化していることによる盲点だったのだ。実体化することによって刀の破片は仮の姿を与えられた刀身に埋め込まれている。だが他者に認識されたままの刀で斬った瞬間、仮の体を与えられていた刀は体内を一瞬で素通りしてしまうが、本体の破片はそうもいかない。体内に入ることで一時的に体の体を失い、刀の核でも何でもない単なる破片になってしまう。とはいえ、この破片だけが生体に物理的な痛みを与えることができるのだ。
 その場合本来ならば破片はそのまま体内に残ってしまう。
 その疑問こそが今回の事件で最も難しい謎であり、葵は今日までまったく解けなかったのだが、それもこうして俊慶と向かい合ってようやく分かった気がしていた。
 人斬りとして名を為さしめた俊慶の刀の振りが異常に速いのがその理由だったのだ。
 振りが余りに速いために刀が刀を素通りする際、破片と刀身が完全に剥がれないうちに体内から出てしまうために、中途半端な傷跡しか内臓に残らなかったのだろう。
 葵は弱点を洗い出す為の苦労を思い出して歯噛みしながら急いで弾倉を入れ替える。
 目の前からふっと人斬りの姿が消えた。
 神速ともいえる速さで葵の後ろに回り込み、背後から切りかかろうとしていたのだ。
 反応が、一瞬遅れる――。
 葵は死を覚悟しながら体を反らして抵抗を試みる。
 今までの葵は事務所内で情報を集め、それをまとめることを主な仕事としていた。
 だから実動班では死と隣り合わせの日常になっているというのも言い過ぎだろうとばかり考えていたが、葵はそれがまったくの真実だと身を以って思い知らされていた。
 もっとも彼の場合、初仕事の相手が姉や松枝と違い、通り魔や性格異常の殺人鬼などとは比較にならない分最悪のデビューであったが――。
「本当、あんたはよっぽど大した腕だったんだろうぜ」
 葵は減らず口を叩きながら、背広が千切れる音を聞いていた。
 背中の辺りを刀の『核』が切り裂いたのだろう。だが痛みがないから、辛うじて体には到達しなかったようだった。
 葵は二つに裂けたコートを脱ぎ捨てた。腕に纏いついてうっとおしかったからだが、背広まで脱ぐと寒くなるから少し動きが制限されるのを諦めることにした。動いている分かなり汗をかいているからか、夜風が凍えそうな寒さであったが、我慢できないほどではなかったのは幸いだった。
「もうあんたの生きていた時代は終わったんだ。死んでからまで人殺しをして何になる!」
 あらん限りの大声で彼はそう叫んでいた。
 叫びながら、何でこんな仕事しているんだろうと葵は考える。
 下地が半身不随になってからずっと、人を殺すことはもちろん傷つけることも極端に怖くなっているのが葵自身でもよく分かっていた。
 昔からあまり手荒なことは好まなかったが、下地の一件で人が傷つく時の『痛み』というものが殊更に強く感じ取れるようになってしまったからだろう。それでも今まではまだ良かった。人数が足りない場合以外は実際に調査に出向くことなど片手で数えられるくらいだったし、与えられる仕事も簡単だったのだから。
 しかし、『チーフ』は葵を異動させるとよく通る声で宣言した。
 だからこれからは常にこうした異常な事件に出向くことになるだろう。そして、何人もの凶悪かつ狂った人間を処罰していくことになるのだ。
 葵はそんなことを考えながら、殺気が上空から突き抜けてくるのを感じて一歩右へ動き、今の剣道ではおよそ考えられないような型にはまらない形での振り下ろしを薄皮一枚のところでかわした。
  

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