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至は十分ほど道なりに歩いていき、ようやくこじんまりとした家を見つけると、表札を確認してチャイムを鳴らした。その表札には『伊野』と書かれており、すぐ側には『戸井町内会会長』という白いプラスチック製のプレートがくくりつけてある。伊野会長はもう七十を優に過ぎているというのにかくしゃくとしている人だ。戸口でほとんど待つことなくドアが開けられ、当人が温かく迎え入れてくれた。
「ああ、生方さん家の双子かい? 今回は何かと大変だろう……」
至はその言葉に少し表情が強張るのを感じた。
「会長さんがわざわざ出迎えてくれるなんてどうもすいません」
顔が強張っているからか、言葉まで何だか堅苦しくなってしまっている。
「なに、こうして動いている方がボケ防止になっていいわい。かなり疲れるが、かといってゆっくり休んでいると逆に体を少し動かしただけでも痛くなってしまうからな」
彼はそう言いながら奥さんにお茶を出すように言って縁側に座った。
「今日は陽射しがちょうどいい感じですね。外に出て寒さをあまり感じませんから」
優しい日の光を浴びて気持ち良さそうな伊野を見て至はそう声をかけた。
「そうか。それでお前さんみたいな若いのが何で私を頼ってきたんだい?」
取り付くしまが無いほど冷ややかな問いが投げかけられた。
「実は川部を殺したのは剣道着を着ていたって噂があるんです。あまりに突拍子が無いですけど、この町内にそんな剣道が上手い人がいるのかなって……」
「私はうちの町内を全て把握しているわけじゃないぞ? だいたい、もう物もろくに覚えてられない、こんな老いぼれに聞くものかよ」
伊野は至をたしなめるように少し厳しい口調だった。
子供の頃には学校へ行く途中、犬の散歩をしているところに何度か出くわしたことがあるが、気のいいお爺ちゃんという印象を抱いていた。実際この間学校の帰りに会った時にも優しい口調でお帰りと言ってもらい心がちょっと温まったのを覚えている。
「私に頼るものじゃないよ。だいたい川部さんとこのは警察に任せておくのが一番いい。君たち姉弟まで殺されたら親御さんはもっと悲しむんだぞ?」「でも、俺は俺たちの手で犯人を追い詰めたい。そのうえでしかるべき罰を受けさせればいいんですよ。そんな野郎なんてね」
「そこまで覚悟が出来ているんなら私の出る幕は無いな。頑張りなさい。だが、そんな話は初めて聞いたな。誰から聞いたんだね?」
「え、と……あ、姉貴です」
心の中で姉に詫びながら至はそう答えた。
「剣道着を着ていたから、剣道が強い男が犯人とは限らないぞ。ほれ、お前も学校で剣道を習わんかったかな?」
「俺は武道の授業では柔道を選んだんで……剣道を取った奴も確かにいますけど……」
至は少し決まりの悪そうな顔をして伊野を見た。
「彼らじゃないとどうして言い切れる? 木刀で殴り殺したにしろ、真剣で斬り殺したにしろ剣道の経験者とは言えないんではないか?」
「確かに……でも、真剣をあんなにうまく扱いこなせるなんて人……」
至は一昨日自分の目で見た秋穂の遺体を思い返して顔をしかめた。
彼女の死因と考えられる傷跡は体の中にしか見当たらなかったが、胃液によって内臓がただれ、酷い状態になっていた。あまりの惨たらしさに二人は吐いてしまったのだ。
しかし、遥が『視』た映像の中では明らかに刀で斬られていたのだという。その一言があるから死因よりも彼女を斬った犯人のことを優先して二人は追っていたのだ。確かに剣道の経験者でない可能性の方が強い。だが、剣道着を常日着込んでいるような人間はそうはいない。
「剣道着を着ていて、か……その情報だけでは私には到底思いつかんな。とはいえ、剣道着を着た者が土手の辺りで剣を振り回していたというなら噂になってるかもしれんな。私の耳に入ってきたらお前さんの家に電話しよう」
「そうですか……どうもありがとうございます」
警察が犯人を挙げられないでこれだけ苦しんでいるわけだから、そこら辺にヒントが転がっているわけがないのだが、至も少なからず落胆の色を隠し切れなかった。学校にいる以外はここ二、三日のほとんどを犯人の追及に時間を割いていたにも関わらず、遥が『視』て割り出した犯人の話がまったく入ってこなかったのだから。
「刀に関してはひょっとしたら助言できるかもしれん」
伊野の言葉に落胆し、うつむいていた至がぱっと顔を挙げた。思わず顔がほころんだ。
「確か旧商店街には骨董屋があったからな。あそこか扇ヶ沢神社。それに――」
「そうだ。その扇ヶ沢神社ですけど、そこに祀られてる剣豪って……」
「ああ、人斬り俊慶のことか」
事もなげに伊野はそう言った。至は少し安堵して嬉しそうに頷いた。
「立川さんが……柏代の剣道場の師範代が言ってたんです」
「もう剣道場に行ってたのか。それで剣道界を悪く言うようなことはしていまいな?」
少し冗談のような、だが本気とも取れる語気の強さだったが、至は敢えて沈黙した。
「まあ過ぎてしまったことは責められないが。それにしてもその男の言う通りだ。確かに犯人があの人斬りに憧れたとしたら、それは十二分に動機として考えられる」
「奴は下総国の侍だった。だが父親が主君の剣術指南役を争った武士に暗殺されてな。俊慶以外は皆殺しだったらしい。奴は苦労を重ねて十三年後に奴は敵討ちを成し遂げた。ここまでなら美談として後世に名が残ったんだろうが」
そこまでは人斬りという蔑称を付けられていることすら忘れ、感心して聞き入っていた至がそこでふと思案顔になった。
「きっと、父の敵を討ったことと仇の代わりに主君の剣術指南役になったことで有頂天になってしまったんじゃろ。そこで慢心して豪奢な生活に溺れてしまった。それが旧臣の恨みを買い、周りの讒言によって追放された」
「まさか、それでこの辺りに流れ着いて、辻斬りをしたと……」
至は立川が俊慶を辻斬りと言って苦笑していた事を思い出し、独り言のように呟いた。
「ああ、そういうことだよ。事態を重く見た幕府によって俊慶は捕らえられ、磔にされた。遺体は細切れにされて戸井川に投げ捨てられたとされておる。まあ、今から三百年近く前の話だがな」
「その辻斬りに憧れて川部を殺した奴がいたとしたら――絶対に許せないです」
「お前さんの気持ちはよく分かる。この町内でそんな奴がいたらと思うと私だって気が気じゃない。私が出来る話はこれくらいなんだが骨董屋の方にも話をつけておこう。刀についても行方不明になっているとかの話があったら必ず知らせる」
至は会釈して礼を述べた。もう日は暮れ始め、夕陽が差し掛かっていた。
「気をつけてな。調査のためと言って夜遅くまで出歩かないように」
まるで本当の祖父のように真心のこもった事細かな注意に至ははにかみながら、伊野家の門をくぐっていった。
「あの純粋さが却って危険を呼び込みそうで不安だが……」
伊野はこたつで温まりながらそうポツリと呟いた。
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