
すると神主は堪えきれないといった感じで大笑いをした。彼女は神主の豹変にぎょっとして物も言えず、目の前の神主が笑い終えるのを固まったまま待つしかなかった。
「いやいや、刀はありますよ。もともとこの社から無くなってなんかいなかったんです。ところでその話は何処でお聞きになりました?」
「はいっ? え、いや、私は立川さん――柏台で剣道を教えている人ですけど――にここの御神体の刀が無くなったって聞いて興味を持ったんで来てみただけなんですが」
「そうか、立川くんか。そういえば彼は我々が剣が何処にあるか探していた時にちょうどやって来たからな。あのことを気に病んでいたのか……」
神主の泰然自若とした態度に遥は質問の出鼻を挫かれ、唖然としたまま、まだ聞き手に回っている。神主はさらに言葉を続ける。
「二、三ヶ月前でしたか。毎週一回必ず行っている御神体の安置堂に御神体が見当たらない日がありました。確か師走のことだったと思います」
「でも、今あなたはこの社からは一度も無くなってないって」
「そう。見つかったんですよ。ここの本尊となっている不動明王の光背にひっそりと立てかけられておったのです」
「あと、ここには人斬りが祀られているって聞いて好奇心が湧いたんですけど……」
周りに神主と自分以外には誰もいないのを確認して遥がボソッと呟いた。
「岩佐殿をご存知で? 学生の方であの人の名前を知っているとは実に珍しい」
誉められているのか、からかわれているのか分からずに遥が戸惑う。今日立川からこの神社の話を聞いて初めて知ったと正直に答えようと彼女は口を開いたが、その時にはすでに神主の独演が始まっていた。
「あの方は確かに晩年人斬りに身を貶められたが、父と妻の仇を討った不屈の精神を持った英雄でもあるんです。まあ、人斬り俊慶という呼び名ばかり先行していますけどね」
神主の熱弁する内容は彼女が初めて知ることばかりだったから真剣に聞き入っていた。
「別にあたしは立川さんが今日教えてくれた名前だからまだ頭に残っているだけです。この辺りに住んでたとかそういう話はほとんど知りませんよ?」「そうですか。でも、立川くんも誤解しているんですよ。岩佐殿の名は人斬りとして喧伝されるまでは千葉県内の藩と農民の関係を取り持つ調停者として機能していたんです。しかも彼は士と農の中立者としてうって付けの英雄だったことを知らんのだから」
遥は相づちを打つことしかできない。立川さんが非難されているのは分かるのだが立川さんも俊慶の伝説をどの程度知っていたか分からない以上、下手に庇うこともできない。
「岩佐殿は仇を討った後、主君である堀田家の剣術指南役に任命されましたが、そのことで民衆の反感を買いました。反感は根も葉もない噂を呼び、噂は藩の上層部に届き、彼らの讒言によって岩佐殿は藩を追放されることになりました。そして失意にさまよう中で彼は酒色に溺れ、この扇ヶ沢近辺に流れ着いたのです」
「それが人斬りとしての岩佐……」
「そういうことです………話が逸れましたな。実は一つ奇妙に思えることがありまして刀は一応見つかったんですが、誰かが刀を使って何かしでかしたようなのです」
彼は御神体の安置堂へ遥をいざなった。彼女は一瞬躊躇ったものの、すぐに最初の一歩を踏み出し、神主について行った。
「御神体がどうなってしまったか、直接見た方が分かりやすいでしょう。どうせ明日このお堂は掃除しますから、気軽に入ってみてください」
神主はそういって、本殿の中央にある少し小さめの部屋の扉を開けた。かび臭い匂いが鼻につく部屋の片隅には古びた刀が一振りぽつんと置かれていた。
「これがその御神体……の刀……」
ところどころ鞘は錆びていたが、どこか高貴な雰囲気を感じさせる不思議な刀だった。
「私どもとて大切な御神体を抜くようなことは今までほとんど無かったから、いつからなのかよく分からないのですが、刀を持ち出そうとしたものがここに置き去りにした理由はおそらくこれでしょう」
神主はそれだけ言うとおもむろに刀を抜き放ち、上へかざした。遥も刀の異変に気づいたからか、思わず息を呑み、刀の先端を食い入るように見つめている。
刀の先端から握り拳一つ、二つ分欠けていた。青々とした刃は見る者を吸い込みそうなほどに美しく新品のようであったもののボロボロに朽ちた柄が時間を感じさせている。
「江戸時代から幾人の血を吸ってきた刀ですから、金属疲労が起きていたため、刃の部分はかつて打ち直したんです。まあ、芯だけは昔のままなんですが、それもそろそろ寿命なんでしょうね。それなの今回の事件と前後してこんな姿になってしまうとは……」
「あの、この刀は本当にこういう状態で見つかったんですか?」
「そうです。これは不心得者が盗んでこうなったのか、私たちの管理の仕方に問題があったのかが分からないので何とも答えようがありませんが」
遥は話が途切れたのを見計らい、適当にお礼を言って帰ることにした。家から遠いだけに、そんなに話し込んでいられる時間はないのだ。
「もう気にする事はないと立川くんに言付けといてくださいね?」
神主は遥を見送りながら何度も強調して言っていた。
扇ヶ沢の丘を駆け下る頃にはもうすでに夕闇が迫ってきていた。遥は秋穂の死に際を思い出して少なからず不安を覚えたから、こちらへ迎えに来てくれていた至に途中で出会えた時、どんなに心強く思ったのかは言うまでもないだろう。
3
二人が神社から帰ってくると双子の家の前には見慣れない白い車が停められていた。辺りはもう暗くなってきているから白だと余計に目立つ。
「……警察、じゃないのかな?」
二人は顔を見合わせると、おそるおそる車を迂回して自転車を停めた。そして自転車に鍵をかけ終わるのを見計らったように車から一人の男が出てきた。
二十代半ばくらいだろうか、まだ若い。薄く茶色がかった髪は目の辺りで切り揃えられ、真ん中の辺りで分けられている。
「僕は葵彰介と言いますが生方至くん、遥さんですね」
二人は身構えたが、それ以上に質問してきた青年の方が身を硬くしている。
「別にあなた達に危害を加えようというわけじゃないんだからそんなに警戒しないでください。お母さんから話を聞いて、車の中で待ってたんですよ」
青年は笑みを絶やさず、丁寧で穏やかな口調で言葉を続けた。だがそんな言葉で双子の警戒心が緩むはずがなかった。
「確か警察の人ですよね? 昨日、秋穂のお通夜で会いましたから覚えてます。母から秋穂のことを聞いたのなら、もう私たちに聞く必要なんてないんじゃないですか?」
「はぁ? こいつ、昨日来てたかよ?」
至はついついそう聞いていた。遥が話題を変えようとしているのかもしれないと思いながらも、どこかで会ったような気がしていたからだ。
「確かに彼女の通夜に行きましたが――よく覚えてますね」
「至も覚えてないの? あたし達と、ううん、戸井一中の連中と入れ違いに入ってきて、御香を倒した人がいたじゃない。あの慌てて入ってきた人よ、この人」
葵は苦笑した。至も彼のことを思い出したらしく、視線に嘲りが混じり始めっている。
中学時代の友人たちと川部との思い出を話しながら川部家から出ていく時、すれ違った背広姿の男にぶつかり、無様にも尻餅をついたのだ。
その時の至は文句を言う気にもならなかったのだが、男はよほど気が動転していたらしく至を無視して奥の部屋に入っていった。そして川部の遺影をじっと見つめた後、御香をつまもうとして御香を入れる木箱を倒し、御香を少し零してしまったのだ。
至は呆れると同時に激しい憤りを感じていたから、騒ぎが起きるのを憂慮した友人たちに引きずられるようにして川部の家から出ていったのを思い出した。
「確かに、ああいうドジを踏んじゃうとすぐには忘れてくれないかもしれませんね。あ、そうそう二人とも間違えていますけど、僕は警察の人間じゃないですから。まあ、あなたたちから見たら、同業者っていうところなんでしょうけど」
まだ態度の端々に余裕が感じられた。それは彼の口元に笑みとして拡がっている。彼はおもむろに名刺を二枚取り出して双子に一枚ずつ手渡した。そこには『KPC メディア部門第二営業部 葵彰介』と書かれていた。
「どういうことだよ。あんた、警察の同業者っていったい……? それにこの名刺はKPCのだろ? 警察や探偵じゃないだろう?」
遥の険しい視線が至に突き刺さる。だが失礼な言い方なのは彼自身よく分かっていた。
「営業とは言うものの、KPCのメディア部門はやることが多いんです。ウェブやテレビだけでなく、出版も手がけてるんですからね。第二部門は新聞記者みたいに情報収集することが主な仕事ですが、そのために警察紛いのこともしているんです。今回は記者として亡くなった川部秋穂さんのことを色々と聞いておきたいんです。柏戸の先生や川部さんの御両親からもあなた方が一番親しかったと聞いていますからね」
「いずれ警察の方が来られたら警察の方にお話します」
至が憮然とするのを横目に見ながら遥が言った。遥自身少し冷たいかなと思うくらい素っ気ない口調だったが葵は別に気にしていないようだった。
「できれば警察よりも先に動き出したかったんですが」
葵は少し不服そうに遥を見た。遥は視線を逸らさずにまっすぐ見つめ返している。
「まあ、時は一刻を争う――というほどじゃないんですけど、僕としては今日中に話を聞いておきたかったんです。本当に残念ですね。あっ、でも警察に話を聞いてからもう一度来るかもしれませんからその時にはちゃんと教えてくださいね?」
葵は沈黙の重みと睨めっこに負け、苦笑しながらそう言った。
――なら日を改めて来ますって正直に言いなさいよ。
遥は心の中で悪態を吐きながらも表情にはおくびにも出さなかった。
「警察よりは僕、あなた方の気持ちを分かってあげられますからね」
彼は最後にそう告げると車に乗り込み、走り去って行った。
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