街の中心の市街地は歩いて小一時間で簡単に回れる。市街はチャンタブリ―川に沿って湾曲しながら広がり、市場を中心に西に官庁街、南に街のシンボルの広々とした池を持つタークシン公園と飲み屋にダンスフロアがあるワイルン(若者)エリア、東の川を越えたところに新しくできたロビンソンデパートがある。ロビンソンができてからは、県民みんなが休日、平日問わずここにばかり買い物に来る、大資本による消費生活のススメが浸透している真っ最中である。市場のすぐ南を東西に伸びる2、300m程の通りがこの街のもう一つの特産品(といっても今ではカンボジアから流れてくる品だが)、宝石を扱う店ばかりが並ぶ通称・宝石通り。
土日の営業日にはタイ中の宝石商が取引に来る、中にはアラブ系やアフリカのギニアから商売をしに来ている人もたくさんいて、日曜日の夜バンコクに向かうバスには、取引を終えてバンコクの会社に戻るギニア人がいつも4、5人乗っている。無駄にでかい彼らと席が隣になると窮屈で座りずらいが、タイ人に負けず陽気でいい人が多い。
市街には仕事が休みの日曜日にしか出かけられないが、いつも市場の写真屋によって、店員のチョン、ウ、テーンの3人組の女の子と話しながら一緒にカウンターに顔を並べる。それが飽きたら、川沿いのフランスの影響を受けた木造建築が並ぶ通りをぶらぶら散歩して、川向こうに見えるタイで一番大きいらしいカトリック教会を橋の上から眺めながら、あのどうしようもなく甘いアイスコーヒーを飲むのがお気に入りのコースだ。週に一度、こうしてたくさんの人工物に囲まれて、知り合いの少ないところでぶらぶらするのがとても落ち着く。
普段、僕の住んでいるパンゴン村は街の中心部から軽トラックを改造したような、ソンテウと言われるバスにゆられて1時間少々、50kmほど北へ向かったソイダウ山の裾野にある。ひたすら果樹園とさとうきびとキャッサバに囲まれた、人口300人程度の小さな小さな村だ。一番近くの市場まで10kmはなれた辺鄙で野性味あふれる自然に囲まれたところだ。この村にある王室林野局所属チャンタブリ―苗畑センターが僕の職場。森林率が減少し、自然災害が増加し野生動物が減少する傾向に歯止めをかけるべく植林の推進が少しずつ始まり、地域住民の生活向上に木材、非木材森林資源(藤や竹、薬草、きのこ等の利用)を組み込もうという取り組みの一環の中に僕はいる。
2000年の7月にタイに来て以来ここで働き、この辺りで唯一の日本人として意図せずもどこへ行くにも目立ってきた。冠婚葬祭、何かイベントがあるたびに引っ張りまわされ、いろいろなタイ文化に触れる機会が多かった。どこに行っても、なんの行事でも常に仏教がつきまとっている。毎月あるタンブン(徳を積む行為すべてを指す、ここでは狭義で毎月定期的にあるお寺の儀式のこと)で早朝、寺にご飯を捧げに行くこと、結婚式で結婚する二人が僧の前で式を挙げること、水掛祭りとして知られるソンクラーン祭、灯篭流しのロイガトーン祭で寺の周りをろうそくもってまわること、日常生活でも村人から都市の住民まで寺と仏教から切り離されることは無い。タイ文化の屋台骨を為すタイ仏教をもっと理解したい、それも内側から、としばらくすると思うようになった。
タイ仏教はいわゆる小乗仏教で別名戒律仏教とも呼ばれる。227からなる戒律を守って生活することが僧のすべてといってよい。僕の理解のうちでの日本の大乗仏教と異なる点は、簡単にいうと他力本願か、自力本願かになると思う。一向宗やら浄土宗やらは念仏を唱えることで人知を超えたもの(阿弥陀如来?)に救いを求めるものとすると、小乗仏教では自分で徳を積むことが自分を救うことになり、その徳を積むための仲介として寺院が必要になる。だから、タイ仏教でもお経は毎朝毎晩唱えるのだが、その意味は犯してはならない戒律を唱えることで、日々自分の戒めの確認なのである。
また、タイでは仏教が国教として定められており、タイ国王はタイ仏教の最上級位としての地位も持っている。マレーシアと国境を接した南部ではイスラム教を、北部の山岳地帯の少数民族ではキリスト教を信仰するものもいるが、ほとんどのタイ人は仏教徒である。二十歳になったら行う日本の成人式のような儀式はないが、ほぼ国民総仏教徒であるこの国では、僧としての修行を積むことが成人の通過儀礼を果すことになる。それはどういうことか?僧院には常に僧がいるが、永続的に僧をしている者のほかに、一定期間だけ僧修行をするという一時僧の制度があるのだ。具体的にはカウ・パンサー(パンサーはサンスクリット語で雨期、カウはタイ語で入る、の意味)と呼ばれる7月上旬から、オーク・パンサー(オークは出るの意味)と呼ばれる10月中旬まで雨季の3ヶ月間を一時修行期間に当てる。3ヶ月間が一時僧としての満期の期間だが、仕事が長期間休むことが難しい人のために最短で5日間だけの修行も認められている。実際、自分の周りを見てみても職員の中には九日とか一ヶ月、中には本当に3日坊主で終わらせた人もいる。短期間でタイ仏教に触れる機会、それはこの一時僧制度を利用することがベストだ。僕はひそかに準備を始めた。
まずは、僧院のアーチャン(先生)に話を通さなくてはならないが、その前にヤームと呼ばれる仲介人兼後見人となる人が必要だ。そのヤームには最年長の職員で、パンゴン村での社会的地位も高いウィロートにお願いした。ヤームとして頼られることは名誉なことであるし、昨年も親戚の一人のヤームになって手順もしっかりわかっているウィロートは快く承諾してくれた。その後二人でアーチャンを訪ね日本人の僕が出家することを承諾してもらう。細かい日程は後回しだ、1週間以上仕事を休んで寺に入ることになるのでセンター長から許可をもらわなくてはならない。が、この点も仕事中にセンター長にさりげなく切り出すことで許可を得ることができた。出家をするということは最高の徳を積む行為とされているので、それに許可を出さなかったらいじわる、悪者扱いされかねない。それがわかっていたので、仕事中の第3者がいるときに話を出したのだった。さて、下準備は進んできたが本当の準備はこれからだ。まだ一番の難関が待っている。それは僧院に入るまでにスワットモンと呼ばれるお経を覚えることだ。
日本の仏教が中国から伝わってきてその経文も中国語でかかれたものを音読みするように、タイの仏教はインドからスリランカそしてタイと伝わってきたもので古代インドの言葉バーリ語で書かれている。一般の経文にはバーリ語の文章の発音をタイ語表記してあるのだが、読むことができても何を意味しているのかは全くわからない。覚えるときは意味は知らず音でのみ覚えることになる、だからタイ人にとってもとても難しく中にはお経が覚えられないから今年もまだ出家できずにいるという人もいるくらいである。だが、やらなくては出家の儀式を済ませられず、寺に入ることはできない。つべこべ言わずやるしかないのだ。
まずはアーチャンに本をもらいその場でお手本に唱えてもらう、後について唱えるどころではなく文を目で追うことすらできない。全くタイ語に無い発音のみで戸惑うばかり、アーチャンも大丈夫かなこいつ、と不安そうだったが出家の日をとりあえず3週間後に定め、後はお経の覚えしだいで延期するか否かを決めることとした。僕が暗唱すべきスワットモンはこの本の162p〜168の7ページを丸々だ。この量を覚えるのはかなりの苦戦が予想される、時間もあまり無い。なるべく効率の良い方法が必要だ、受験の時のコツを思い出せ、タイ語を勉強してきて身についたノウハウを活かせと思案した結果、まずはウィロートの家に急いだ、カセットテープをもって。そして、かつて出家したことのある友達のガイにお経を唱えてもらい、ウィロートの家にあるカセットデッキ(僕の家には録音装置がなかった)で録音しそれを家で四六時中唱え、一日ごとに覚えるパートを決めてブツブツブツブツ・・・と一日中唱えっぱなし生活を始めようとしたのだ。
やり始めてみるとこれが思った以上にしんどい作業で、カセットからの声は聞き取りづらく、何回やっても頭に入らない。やる気が削がれめんどうくさくなり、出家前に終わらせなくてはならない仕事にも忙しく暗唱は滞りがちになり、始めの1ページすらうろ覚えのままのこり10日を切ってしまった。
高校時代のテスト前よろしく、尻に火がつくまで動き出さない厄介な性格が全く変わってないことを痛感し成長しないなとぼやきながら、ここから怒涛の追い込みに入った。夜はひたすらガイの吹き込んでくれたテープを聞き込み、朝はテープを聞きながらその日覚える予定の1ページをメモに書き写し、昼間仕事中も挿し木や害虫取りしながらブツブツ・・・、昼飯食べながら頭の中で諳んじて午後も仕事の手を休めてメモをチェックしながらブツブツ・・・。ウガーサ・ワンターミ・パンテー・サンパン・アパラータン・カマタメーパンテーなどと呟きつづける。日本なら誰が見ても非の打ち所のないイッてしまった人であるが、ここではみんなが『あぁ、トモは偉いねぇ。頑張んなさいよ。』と励ましの言葉をいただける。以来一週間仕事そっちのけで昼と無く夜となく聞き、ついに後2日を残してすべて覚えることに成功した。こんなふうに音だけで何かを暗唱するのは小学2年生の時の掛け算九九以来だが、別に年をとったからといって物覚えが悪くなるどころか、要領が良くなってむしろ覚えが良くなっているじゃないかと大いに自信がついた。後は儀式の日を待つばかり。