『』as 山田健文 (音大生)
    「」as 山本健一 (異人スタッフ)

 

異人スタッフ(以下I)「それではどうもお久しぶりです」

山田(以下Y)『お久しぶりです』

I「こうして、こうやってインタビューすることになるとは今まで正直な話思ってもみなかったんだけど……」

Y『そうですね』

I「結局最初に会ったのは中学時代、中2だよね?」

Y『うん、中2のとき』

I「中2の時初めて会って、その時にはピアノをやってるっていうことを(同じクラスの友達が)言ってたと思うんだ。それからこの音楽の方面で作曲とかっていう方向へどうして移ってきたのかなというのをまず初めに聞きたいんだけど」

Y『えーと、幼稚園のときからピアノはすでに弾いてて、なんか絶対音感があって、ある程度曲は耳コピーとかができたんだ。それで高校の多分1年生のときかな、作曲の授業というのがあって、一人一人曲を1曲ずつ作るっていう課題があったんだけど、これがまた、楽しくて、もう、すぐ出来ちゃってね。それで、暇だから友達の曲とか作ってて、ボンボンボンボンボンボン作っちゃってさ、あ、楽しい、なんか俺ってこれ人よりずば抜けてないっていう感覚がちょっとあって、そこから作曲を大学でやろうってことを志して、高校で勉強していった。これが作曲に関して目覚めたきっかけといえばきっかけだな』

I「でもその前に、一番初めに僕とかと会った時にピアノやってるんだから曲とか作れないかっていうことをおそらく僕のほうでが頼んで、それでやってみたっていう経験もあったような気がするんだけど(苦笑)。そこら辺も含めて、やっぱり一番初めの頃にうまくできたっていうその成功体験が今を作っているって考えればいいのかな?」

Y『そうですね』

I「あと、それで、中学のころから音楽の方で頑張ってて……中学の頃から吹奏楽部とかでやってたっけ?」

Y『吹奏楽になったのは…』

I「高校?」

Y『高校の時』

I「横浜高校に入ってからだったっけ」

Y『そうそう。あのね、条件があってね。音大に入れてやってもいいけど、吹奏楽を3年間ちゃんと続けろっていう条件があったの』

I「それは親との?」

Y『そうそうそう。それで条件足す……』

I「そうだよね、中学のときには卓球だったなーと思って」

Y『そうそう、卓球とかバトミントンとかふらふらしてたの』

I「それをいうと僕も中3のときに剣道部から帰宅部に移ってるからあまり人のこと言えないんだけど(笑)」

Y『あ、そうなの(笑)』

I「あ、そっか高校の時にはそれで甲子園で2回…」

Y『うん、2回』

I「出場したんだったっけね」

Y『なかなか大変なんだよ、あれ』

I「…(笑)。あれ、でもそういえば、横浜高校っていうと、話は少し変わるけど」

Y『はいはい』

I「そうすると(山田くんが)3年のときには国体も含めて確か3冠してるから……」

Y『うん、そうそう3年の時に』

I「ということは、国体って確か10月ぐらいだったと思うんだけど、それまで引退せずにずっと吹奏楽部で?」

Y『もちろん、もちろん』

I「そうすると結構長い間やってたことになるのかな?…それで吹奏楽の時には、どういうことを…あの、パートとかそういうような意味なんだけど」

Y『パート。まあパートはあの、ぐるぐる巻きのホルンっていう楽器をやってるんだけどね、なかなか地味なんだけど重要な楽器で』

I「あ、僕も高校の時に、前に話したかもしれないけど、太鼓とかパーカッションを吹奏楽部でやってた友達がいるから、そういうなのが重要だというのはよく分かるんだけど。楽器とかはあらかじめ自分で選べたりするの?」

Y『うーん、選べる、そうだな、たまたまそこが空いてて』

I「あー、そういう感じなわけね」

Y『あのねー、俺が行ってたころはねー、あの、みんな埋まってたの。花形のたとえばトランペットとかクラリネットとかサックスとか格好いいのはみんなとられてちゃったの』

I「それで一番楽にポジションがとれそうだったのがホルンだったと」

Y『そうそう、ここ足りないから入ってー、みたいな感じで(笑)』

I「それでホルンの方で3年間活躍して……あれ、ってことはさっきの話だと僕たちが高校1年の夏に確か横浜高校は甲子園に出てたと思うんだけど、その時点でもう?」

Y『あー、もちろん』

I「演奏してた」

Y『出てましたよ。一回戦負けだったんだよね』

I「そうそうそう、どこだったかもう相手は忘れちゃったけど、9回になんか思いっきり点数取られて勝てるだろうと思ってたら逆転負けしたっていう。横浜を応援してたから僕もよく覚えてるんだけど」

Y『そうそう』

I「それから、ああやって活躍して……もう初めから音大の方には行こうと思ってたわけで、するとやっぱり受験勉強とか、おそらく技術的な、音楽の技術的なことをやり始めたのはいつ頃からかな?」

Y『えーとね、本格的に勉強やろうっていっていったのは高2くらいからかな。週2くらいでたとえばヤマハとかの習い事に行って、まあ音大の受験に必要なことをちょっと習っていったっていう感じかな。高3の5月くらいから学校の見学に行って……それで、1ヶ月に1回くらい大学見学に行ってた。』

I「じゃあもう用意周到にきて、それで音楽の方の短大の方に行って。それからその短大を出た後大学の方に編入したわけだけれど、それはやっぱり音楽を、もっと作曲家として学びたいと思ったから?」

Y『そうですね。まあ2年っていう時間ははっきり言ってあっという間に終わっちゃうんですよね。だからこれから楽しいっていうところで終わっちゃう。それでこれで終わって自分働けるかなーって思ったら、ちょっと不安になって。もうちょっと勉強したいなっていう気持ちから四大に入ったという』

I「それで今こうして坂田先生のもとで頑張っているということかな?」

Y『まあ、坂田先生は『母を訪ねて三千里』とか『南の虹のルーシー』とか漫画関係で、というかアニメーションで有名な方で』

I「ほかにも『男はつらいよ』のテーマ曲のアレンジとかも幾つか…」

Y『そうそうそう』

I「最近だと……?」

Y『最近だと氷川きよしの歌で『茂七の事件簿』っていう時代劇の』

I「あ、少し前までやっていたやつですよね」

Y『そうそう、『でんでん虫』という曲があって、その曲を先生が作ったっていうのがありますね』

I「編曲、作曲、どっちも」

Y『ああ、もう両方とも』

I「やっぱりそういうような人から学ぶものというのはすごく大きいと思うけれど」

Y『大きいですね。話している一語一語に無駄がないっていう感じはする』

I「技術的なものがやっぱり」

Y『そうだね。やっぱり普通音大の先生っていうのは自分が自ら売れてるのに先生をやっているというのはほとんどいない。現役を引退して、もしくは失敗しちゃって、知識があってそれを教えようかという先生が意外と多い。だけど坂田先生の場合、実績もあるし』

I「まだ現役バリバリですよね? そうやって活躍しているわけだし」

Y『そうですね、現役バリバリ。だから他の先生より現場を知っているし、何ていうのかな、やっぱり実際そこで働いている経験談とか聞かしてもらってすごく為になるというのがある』

I「あとまあ実践的な授業というのをやってくれると考えてもいいのかな」

Y『実践的…そう、そうですね』

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