old essay new essay return to home

010

2001/10/28 sun, 20:28:51

おもひで

古川 真澄  

 イナッシーという生物がいるらしい。そんな話を小耳に挟んだのは随分前のことだ。長年、F県I湖に住むと語られてきた謎の生物。この生物につけられた名前が、「イナッシー」というあまりに短絡的なものであることからして、この生物がネス湖のネッシーにあやかった、客引きマスコットであることは想像に難くない。しかし、依然としてイナッシーの存在はそこここで囁かれている。そろそろ本当のことが知りたい。イナッシーはいるのか?それともやっぱりいないのか? 私はきっと、本当のことを知るべきだ。だから、夏のある日、私は赤羽を発った。
 夏だというのにポソポソとした雨が降り、気温は20度前後。何もかもがぱっとしないその日、私はI湖湖畔の駅に降り立った。当然、イナッシーを探すために。
 ホームから降りた私の目にまず飛び込んだもの。イナッシーの等身大と思われる看板。その上、調査に訪れた私を待っていた、冷たい雨に低くたれ込めた空に異例の気温。イナッシーに会うにはうってつけの環境ではないか?この湖のどこかに、イナッシーがいるかもしれない。そんな予感を許してくれる。私は、この予感と共に、湖の周りを歩き出す。イナッシーに会うために。撮ってやる。絶対。

 どのくらい歩いただろう。時間なんて覚えていない。ただ、湖を何周しようと、イナッシーは姿を現さなかった。そろそろ日も暮れようとしている。「こんなんだったら濡れやしねぇ」と高を括っていた霧雨も、既に全身にしみ込んでいる。
 むしょうに腹が立った。どうしてイナッシーは姿を現さないのか。ここまで会いに来たのに。イナッシーに会うためだけにここまで来たのに。どうして。やっと、何かを追いかけようと決心したのに。どうして。どうして姿を現さない。全然うまく行かないじゃない。私は水を蹴り上げた。
 その瞬間。自分の周りが、水に変わった。自分は深く水の底にいる。相手を見つけることに必死になって、相手に見つけられることなんてこれっぽっちも考えていなかった。そんな私を襲った突然の一撃。圧倒的な破壊力。沈んで行く。深く。死ぬ。私は必死でもがいた。息ができない。そう、息をするために私は水から出たいのだ。水中じゃぁ肺呼吸の哺乳類には息ができない。最大限に見開いた目の前で、自分の吐き出した二酸化炭素が泡になって昇っていく。何かが見える。泡の間から。そいつがニヤッと笑う。そして去って行く大きな影。あれはイナッシーの後姿か。見つけた。追いかけていたもの。行かないで。私には追うことができない。だから…

 泡も、大きな影も、消えた。

 結局、イナッシーの姿をカメラに収めることはできなかった。それでも私は見たのだ。証拠なんて無い。だけど、それでも私は見た。私の部屋にある、錆びたカメラがそれを証明する。このカメラは、私と一緒に深く、深く水中に沈んだのだから。

 なんて水曜スペシャルな思い出だっていいじゃない。

 

009

2001/10/21 sun, 05:45:52

「永遠」に「序章」は嫌だ

小嶋洋輔

 現在午前4時20分。この時間から文章を書き出すと言うことは、眠らないと言うことだ。そう自分に言い聞かす。今日は少し真面目に書きたい。一人称は「私」で書く。面白く、楽しくと言うリクエストもあったが、どうもそんな気分ではないらしい。長くなるかも知れない。中途半端だとお天道様が上がっている間、その時間全て眠ってしまう。
 私は「ふり」をすることが好きだ。
 授業で誰かに「こんな本読みましたか?」と聞かれると、読んでもいないのに「はい。」とふりをする。
 ただの女友達と遊びに行くとしても、その娘が、恋人だと思って大好きなふりをする。
 体の調子が悪くなくても、「どこか具合悪い?」と優しくいわれると、もっと「やさしさ」を求めて「ちょっとね。」とふりをする。
 日常的なことではこれぐらいだが、悦にはいってしまうと、存在しない人物を自分の話に織り込んでしまうこともある。当面、目の前にいるこいつだけが楽しんでくれればいいと思う。
 ひどい話だが、誰か女性と恋人として付き合う場合でも「恋に苦しみ、幸せを感じる」自分のふりをする。本当に幸せな時もあったろうけど、正直に言うと大部分はふりだったと言える。
 誰かが持っている誰かの情報なんてこんな具合にいくらでも脚色ができる。まして、「友達の友達がね。」何て話ほど胡散臭いものはない。
 「ふり」は楽しいし、有用だ。「ふり」は少なくとも他人を不幸にしない。

 私はこの間、とある駅で待ち合わせをしている「ふり」をしていた。「ひどく寂しい趣味だね。」と思われるかもしれないが、結構面白いものだ。其処にいる人たちは私が待ち合わせしていることを疑わない。というか興味がない。私は一人客観者として其処に存在することができる。それに誰かを待つといういらいらする感覚も味わえる。
 若い男が煙草をふかしながら誰かを待っている。お爺さんがしかめっ面をして誰かを待っている。中年男性がスポーツ新聞を片手に誰かを待っている。若い女性が携帯を弄りながら誰かを待っている。
 この行為をすると必ず、それぞれがそれぞれ生きてるんだね。と荷風のようなことを思う。そして、あの若者の待ち合わせの相手はどんな人間だろうなどと想像してみる。また、この場所では誰かが誰かを少なくとも「必要」としているから待っているのだな、などと感慨にふけってみたりする。ありえないと少し笑いながら。裏切りの繰り返しだよと諦めながら。
 すると、煙草をふかしていた若い男の相手が現れた。彼より少し年上ぐらいで、背は小さくて、髪は肩ぐらい、顔は誰かに似ているのだが思い出せない、そういった風貌の女性だった。
 女性は「ごめんね。」と謝る素振りを見せた。もちろん男は「いいよ。」と口を動かし、そして、笑った。彼女も笑顔になった。
 その後、彼等は笑顔のまま「じゃんけん」を始めた。行く先を決めるのか、食事を「中華」にするか「イタリア料理」にするか決めるのか、ただの戯れなのか、わからないがとても幸せそうに「じゃんけん」を始めた。
 彼等の勝負は「あいこ」が延々と続いた。
 「あいこでしょ。」「あいこでしょ。」「あいこでしょ。」「あいこでしょ。」「あいこでしょ。」「あいこでしょ。」「あいこでしょ!」と彼等の口は動き続け、それぞれが「グー」か「チョキ」か「パー」をそれぞれ出し続けた。時に「グー」同士になったり、「後出しだよ。」と笑って、またやり直したり。
 永遠に続くような気がした。
 その間も彼等の前を無数の人が通り過ぎ、電車がホームに入り、私の煙草の数も増えた。他の待っていた人々にも相手が現れた。だが、彼等は笑顔で「あいこでしょ。」と「じゃんけん」を続けていた。
 
 その後結果を見ずに立ち去ったから、どちらが勝ったのかわからない。
 ただ、勝負がついても、あいこのままでも、彼等の「じゃんけん」は終らないだろうなと思った。
 「うらやましいな」と感じた。
 「ふり」だけでは物足りないこともあるらしい。

008

2001/10/16 tue, 05:58:17

表情

溝口聡  

人の表情にとても興味がある。例えば悲しい時、悲しい顔をする。当たり前のような事。でも、人はいつそれを学んだのだろう?言い換えれば表情は、何処からが意識的で、何処からが無意識なのだろうか。
 暗室で写真を焼く。赤い光に包まれた室内の中、白い印画紙にゆっくりと姿が浮かび上がってくる。親しい仲間からもう会わない友達まで。一枚一枚写真を焼く。そんな単調な作業をしながら、僕はその瞬間を思い出している。それは何処だったか、どんな気持ちでシャッターを押したか、そんなことまでありありと甦ってくる。その瞬間を再現すると言ったら大げさだろうか。はじめて自分の手でモノクロの写真を焼いた時、その感動で僕は震えた。
でも、そんな写真にかこまれて暗室にいると、ひどく不安定な気持ちになってしまう。
1つの明確な事実。これらは過去の断片だ。
逆説的に聞こえるかもしれないが、カメラを始めて1つ、わかった事がある。写真は光を記録したものに過ぎない。そこには、何の感情も無い。だから撮った時の自分の気持ちは思い出せたとしても、被写体の気持ちは読み取れない。そこにあるのは笑っている顔や泣いている顔、それだけだ。勿論、人の気持ちを計るのに、表情は重要な判断基準だと思う。しかしカメラである瞬間を切り取った時、それは妙に空々しく写る。残酷なまでにその瞬間しかないから。
 ここに一枚の写真がある。振り返ってこちらを見ている女の写真。夏の終わりの公園、不意を突かれたのだろう、顔には何の表情も浮かんでいない。多分彼女は次の瞬間、笑ったんだと思う。しかし写真の中の彼女は、曖昧な表情をしたまま凍りついている。僕らはその後付き合い、そして別れた。今思うと、この写真が一番良く撮れている気がする。まるで鏡のようにそこには彼女の心が無い。在るのは僕の想いだけ。笑ってしまうほどの苦い思いで、僕は時折その写真を眺める。

007

2001/10/04 thu, 01:50:51

「神さま」

小嶋洋輔

 長嶋茂雄を私が知ったのは、生れたその瞬間だったといっていい。
 私が生れたのは昭和51年、長嶋が現役を引退したのは昭和49年。私が生れたときには長嶋は華麗なるプレーをテレビ画面上で行ってはいなかった。だが、私は長嶋の勇姿を簡単に思い描くことができる。長嶋がホームランを打つ、セカンドの前まで走ってファーストに送球する、トンネルをする、思い切りよく空振りをする。私は長嶋をよく知っているのである。
 その謎の解明は簡単、私の父が長嶋茂雄の大ファンだったのだ。
 私は、長嶋の生い立ち、インタビューをまとめた『長嶋茂雄物語』というカセットテープを子守唄の代わりに毎日聞かされた。生れたその瞬間に出会ったといったが、産婦人科の帰りからそのテープが車で流れていたというから、事実である。
 私は、長嶋茂雄の写真集を絵本の代わりに読んで聞かされた。そこには今にも「わが巨人軍は、永久に不滅です。」ときこえてきそうな引退の写真から、光り輝いた長嶋の姿があった。
 私は、毎日神棚を参るように、我が家の階段に飾られている二枚の大パネルにお祈りをした。
 「長嶋さん。お願いします。今日は学校で嫌いな給食が出ます。しいたけとひじきです。先生にばれないように残せますように。でも、今日は先生がうちの班に来るからなあ。大変だけどばれませんように、まもってください。」
 「長嶋さん。今日はバレーボールです。僕はバレーボールが大嫌いです。目立たないように終りますように。」
 「長嶋さん。今日は席替えです。できればレナちゃんの隣りに座れますように。絶対山村君の近くは嫌です。鼻くそほじるから。」
 長嶋はいつも最高の笑顔で僕を見守ってくれた。長嶋は幼年時代の私の「神さま」だった。
 長嶋は言った。「今日の失敗はくじけるな。いつでも明日のことを考えろ」。長嶋はそういって、金田正一に四打席四三振という屈辱という衝撃から立ち直り、プロ一年目新人王、三割、三十本を達成した。そして次の年には金田からホームランを量産した。
 「今日の失敗はくじけるな、いつでも明日のことを考えろ」。長嶋はそういって、ホームランを打ったのにベースを踏み忘れてピッチャーゴロという判定になってしまった時、それに抗議する水原監督を止めた。「明日、また打ちますよ」と。
 長嶋は言った。「努力は人に見せるものじゃない。舞台裏は人に見せてはいけないんだ」。長嶋の家には地下室があり、家まで詰め掛けるマスコミをごまかしながら、毎日1000本近い素振りを続けた。そして、誰にも知られないように試合前に多摩川練習場で毎日、バッティング練習をした。ある年の日本シリーズ、長嶋は相手チームとともに原因不明の高熱と戦っていた。毎日38度を超える熱が出、家、宿舎に帰ると倒れた。長嶋はこのことをトレーナーにしか話さなかった。その上、長嶋はアレルギー体質で薬を受け付けなかった。長嶋は、トレーナーの腰と腹を熱湯で蒸したタオルでまき、布団をぐるぐると簀巻き状態になるという荒療治に耐え、試合に出続けた。長嶋は天才と称されたが、努力家だったのだ。だが人には見せなかった。「舞台裏」なのだと。
 長嶋はいつも最高の笑顔で僕を見守ってくれた。長嶋は幼年時代の私の「神さま」だった。

 そんな長嶋もいつのまにか人間になり、私が青春時代にまた巨人のユニフォームを着た。おじいちゃんになった長嶋はボクの「神さま」だった長嶋とは違い、好々爺といった感じだった。バラエティで見ていた長嶋だった。
 「神さま」だった長嶋はいつのまにか「おじいちゃん」に私の中で変わっていた。

 だが、今年、平成一三年、長嶋はユニフォームを脱いだ。おそらく、もう二度と栄光の巨人軍のユニフォームを着ることはないだろう。
 私は思った。「おじいちゃん」の長嶋を罵倒したことを。適当な継投を、適当に金をばら撒いた補強を罵倒したことを。
 私は今でも長嶋が私の「神さま」だったことに気づいた。長嶋だからバカにできのだ、「神さま」だったから甘えられたのだ。
 「セレモニー」での長嶋。薄くなってきた頭。長嶋は老いた。確かに老いていた。だが、ふとした瞬間、長嶋は若返る。「神様」の容貌に戻る。
 
私は宣言する。「わが長嶋茂雄は永久に不滅です。」と。

006

2001/10/01 mon, 23:13:26

エロマンガ島からの手紙

西田稼頭豊  

10月の夕暮れ、大学から帰ってくると、新聞受けの役割しか果たしていない郵便ポストにめずらしく一通の手紙が入っていた。それもエアメールだった。
差出人は高校の同級生キクチからで、封を切って便箋を取り出してみると、
そこには踊るような文字でまず次のように書いてあった。
「ニシダ、久しぶり。俺はついに念願のエロマンガ島に来たぞ。」
キクチとは高校3年生の時同じクラスだった。
僕らのクラスは文系の進学クラスで夏休みを迎えるとたいていの人間が受験勉強に励み始める。僕はたいした理由はないが、働きたくないとただそれだけのために受験勉強をしていた。
キクチが「エロマンガ島」の話をしてくれたのは、そんな高校3年の2学期、中間テストの真っ最中だった。

一時間目に行われた数学のテストがまったくといってよいほど分からず、前の座席に座っていた養豚所の息子タジマとお互いの傷を舐めあったあと、次の時間のテストにそなえて形だけ机の上に歴史の教科書をだしていた。
「おいニシダ、わいさぁ、ロシア革命が何年か憶えとっか?」
とタジマが聞いてきた。
「1917年じゃっどが、そいくらい憶えとって。」
「そいをさぁ、わいどげんして憶えてる?おいは生稲晃子、ロシアで革命、って憶えとっど。」
「イクイナアキコ・・・って?」
「ほら工藤静香とかいるグループのよ、目立たんとがおっどが。そいのことをさ、1917って数字で思い出したで、語呂あわせしたみたんよ。そいにさ、生稲晃子が工藤静香とか引き連れてロシアで革命起こしたって考えるとおもしろかせん?」
とタジマは真剣な顔をして言った。そこで僕は
「そうやいどんさ、そいってきっと史実と違がっとっし、本当の勉強じゃなかどが。」
とちょっと優等生らしい発言をしてみた。がもちろんタジマはそんな僕を売りに出される豚を見るような眼でみつめ
「じゃぁ、ニシダ。ロシア革命って本当は何が起こったか知っとっと?」
とすかさず問いただしてきた。もちろん「ロシア革命」が何だったのかを僕は知るべくもなく、ただ伏目がちに「当たり前よ。」と答え、次の話題を頭の中で模索していた。そんな僕たちにキクチはニヤニヤした笑いを口元に浮かべ近づいてきた。
「わい、何を笑っとっと?数学ができたいや?」とタジマが聞いた。
「うんにゃ、いっちょんできんかった。」
「じゃ、何がそげんおもしろか?」
「わいどんさ、エロマンガ島ってしってる?」
「エロマンガ島・・・、ああ聞いたことあんね。」とタジマは答えた。
僕もその島の名前は知っていた。よく「ジャンプ放送局」なんかで話題になるやつだ。
「そいがどげんかしたと?」
「おいさぁ、エロマンガ島に住むことにした。島の周囲およそ40キロ、人口800人の南国の島や。冬なんてなくて、なんつと常夏っていうとけ、島民は常に笑顔に溢れちょっと。そいに島には王様がおって、エロマンガ王ね、島民は年中水着で、地面を掘ればさ、エロマンガが出てくったっど。」
受験期にはよく頭のおかしくなる学生がいることは聞いていたが見るのは初めてだった。そこで僕はキクチに聞いてみた。
「本当け?そいにさ、住むていうても、キクチさぁ、わい何か「あて」でもあっとか?」
「うんにゃ。全部おいの想像。やいどんもう決めた。おいはエロマンガの住民になる。」
そう言うと菊地はにやにや顔をきっと引き締め一人何かに納得したようにと遠くを眺めいた。僕がちらりと横をみると鹿児島には似合わない突き刺すような冷たい視線で女子が見ている。
「南国の島か・・・。」と僕はシマにアクセントをおいて僕たちが健全な話をしていることを強調してみたが、時既に遅かったようである。キクチは女子の視線をよそに相変わらず遠くを見ていた。
その後キクチはぱったりと学校に来なくなり、風のうわさでは九州最大の都市「博多」に歩いて遊びにいったとかだったが、僕がキクチに最後に会ったのは卒業式だった。その時僕は最近どんな本を読んでいるのかと聞いたところ
「ダザイとか、カムライソタとか」と僕にはよく分からない人名が出てきたが、キクチがとんでもないところに行っていることだけは分かった。それ以後は会っていない。

話がだいぶそれた「エロマンガ島」からの手紙の続きには次のように書いてある。
「ニシダ、エロマンガ島はきっと僕や君が考えていた以上にすばらしいところだ。残念ながら僕たちが考えていたようなエロティックなものはまったくないけれど、それに今となってはそういうことを期待してここに来たわけでもないが、僕はいまなんというか幸せです。
それは都会の喧騒をよそに透き通る海と真っ青な空に囲まれて、何処からか聞こえてく島民の歌声に耳を傾けているからじゃない。
ニシダ、いつかお前が話してくれたよな、なんとかという民俗学者が浜辺に打ち上げられた椰子の実をみてその流れてきた道を思い起こす話、あの話の要点はきっとその民俗学者の想像力にあると思うんだけど、僕がその話を聞いてずっと気になっていたのはその椰子の実のほうなんだ。
告白するのはちょっと恥ずかしいけど、ずっと前から僕は自分のことを根無し草だと思っていた。自分の存在と場所との違和を感じながら、海の上を漂う木の実のように、いつか根を張るだろう土地に出会うべく彷徨い、流れ続けているんじゃないかってね。
そして実際僕は多くのとは言えないかもしれないけど、かなりの町を移り住んだ。ささやかながらその土地の人々に出会い、ささやかな別れを繰り返した。ある作家が言ってたよ、さよならだけが人生だ、って。たしかにこれは人生の
ある面は言い当ててる。僕もさよならを何度も言ったような気がする。
でもニシダ、もし本当に「さよなら」だけが人生だとすれば、それはあまりにも悲しくないか?
僕はもう「さよなら」なんて言いたくないんだ。でもそれにはどうすればいいんだろう。僕は考えたよ。そしてそれにはきっと僕自身が根をはらなきゃいけないんだと気づいたんだ。誰かがどんなに遠くから見ても気づくように、根をはり幹を伸ばす。そうすればきっともう「さよなら」を言わなくていいと思わないか?
ニシダ、僕は、このエロマンガ島にいる。また会おう。」
手紙を読んだあと僕はキクチが少しだけ羨ましいと思った。あいつはエロマンガ王になったと一人語散て笑ってもみた。いつか僕はきっとキクチに会いにいくだろう。そしてあいつの旅の話を幾晩も聞きたい。暗くなっていく部屋で一人そう思った。

そうそう、高校時代のもう一人の友人、タジマがどうしているかというと、生稲晃子がロシア革命を起こしたと信じている人間が大学へいけるわけがなく、キジマが大学に全部落ちた三月のある夜、両親の密議により自衛隊に入隊が決まった。僕が東京で一人暮らしを始めたある晩、キジマから電話があり、疲れきった声で「今、一日が終わったよ。」と連絡があった。
あれからどうしているのだろう。しかしそれでも僕は信じている、キジマが生稲晃子なみの革命を起こしてくれると。

 

005

2001/09/20 thu, 23:58:06

めだかの学校

水口真澄  

1998年の夏(ええっもう3年前)。都留文科大学の3年生だった私は愛するゼミ教官の主催するフィールドワークに参加した。その年のテーマは"日本海文化圏と北前船(江戸〜明治期、大阪から日本海まわりで蝦夷地にいたる「西回り航路」で活躍した船)"。福井県は河野村で、希望者20人での合宿であった。宿舎は広くて清潔、そしてロケーションがとても良かった。建物の横道を入って階段を下りていくと細い川が流れており、しかもそこはでかでかと「めだかの村」という看板が立っていた。取れるのである。この川で。めだかが。
岐阜県民は水辺でバカになる。自由時間になって、みんなでひとしきりバシャバシャやってから、私はおもむろに水をのぞき込んだ。しばらく見つめていると、水の中にちらちらとめだかが動いているのが見えてきた。俄然、私の狩猟本能に火がついてしまった。
めだか。めだか。大きくなったらくじらになるであろうめだか。
みんなもはじめはどこにいるのか探すのに一苦労だったようだが次第に目が慣れてめだかを視認することができるようになった。どうにか捕まえようと苦心して十数分、E本さんが歓声を上げた。
「とれた!」われわれは色めき立った。それもいっぺんに2匹!バケツの中にうまく追い込んだらしい。うめえことやりゃあがってこの野郎、こちとらも負けてられるか畜生。しかし結局その日はそれ以上取れず、われわれは2匹のめだかを愛でて一晩過ごした。
それから私の頭には北前船じゃなくてめだかが疾駆するようになった。見学の道すがら釣具屋を兼ねたお菓子屋にみんなで立ち寄ったときも、私は一人生活雑貨の棚を物色していた。タモでは網の目が粗くてめだかをすくえない。それならと、台所の三角コーナーに設置するネット状のゴミ袋を買った。この細かさなら大丈夫。どんなに小さいめだかでもすくい放題とり放題。なんならこの網を3メートルくらいにつないで底引き網漁で根こそぎ取っちゃるもんね〜っと誰にともなく胸を張りながら、最終日、鼻息も荒く川へ向かった。
めだか。めだか。だけど大きくなってもめだかはめだか。
最終日。あんなにがんばったのに。あんなに周到に用意したのにめだかは一匹も捕まえられなかった。どうしてE本さんは素手で2匹も捕まえたのに私は一匹も捕まえられなかったのだろうか?これを無欲の勝利というのだろうか。それとも本当に底引き網漁を実施するべきだったのだろうか。帰りの高速バスの中、アンドロイドは電気めだかの夢を見た。

004

2001/09/11 tue, 09:51:20

『UNTITLED』

高橋D

父さんが運転する時のカーステレオからはいつも「昴」が流れていた。
「わ〜れはゆく〜、青白き頬のま〜ま〜で〜」
運転しながら父さんは口ずさんだ「わ〜れはゆく〜・・・」
僕も口ずさんだ。二人で「わ〜れはゆく〜」。
父さんに車で送り迎えしてもらったのはほんの2、3週間だった。
僕が突発性の肺炎にかかり、それに乗じてさまざまな菌が僕の体を犯した。
僕は一ヶ月の入院を余儀なくされた。
楽しみだった夏休みは病院のアイボリーのカーテンを通過した光と、
2日に一度腕に突き刺さる点滴の針を見て過ごしたことしか覚えていない。
まだ体は本調子ではなかったが、勉強に遅れるといけないからということで、両親は僕をベットから連れ出した。
医者は安静を言い渡し、体育などは見学するように、と僕のほっぺたを揉みながら忠告した。

僕はそれからの2、3週間を父さんに送り迎えしてもらった。
僕は毎日学校までマンションの前からのバスと電車を使っていたので、
学校までの道行きがまったく別の光景に見えた。
学校は僕の住んでいる郊外住宅地から、小さな峠を一つ越え、街を一つ越えた所にあった。
父さんは時折僕を急かして支度させ、
のっぱらにマンションだけがそびえている迷路のような郊外住宅地を足早にかいくぐり、
峠の頂上に車を止めて、夏の朝の僕が住んでいる郊外住宅の一帯を見せてくれた。
街を見せ、電車の路線を見せ、遠くからの学校を見せてくれた。
父さんはそんな時煙草を吸って、車のボンネットに寝転がったりした。
いつもスーツは下だけで、大体上はラフな格好だった。
きちんとした格好を好む母に父さんは「会社の前で着替えるから良いんだよ」と答えていた。
峠を下って迂回すると、街があった。
僕はほとんど街には足を踏み入れたことはない。
バス――電車――そしてスクールバスの中からの風景が僕にとっての登校路だった。
父さんの運転する車は、明りを灯し終わった提灯がぶら下がる居酒屋の前を抜け、
築地塀に囲まれた門前で打ち水をしている坊さんと擦違い、
蓮の浮かぶ池の周りをジョギングするおじさんたちを追い越した。
父さんは学校に僕を降ろすと、「がんばれよ」と言い残して窓を閉めた。

学校での僕はほとんどすることがなかった。体調が元に戻っていないからなのか先生の喋ってることなんかぜんぜん耳に入らなかったし、
それに、そんなに難しいこともやっていなかった、いつも復習、復習、
少しでもいいから記憶の残り滓を脳にとどめて置こうという作業の連続。
茶碗の欠片を飲まされている気分になった。
休み時間は友達と話すことがなかった。
一ヶ月誰とも遊ばなかったから、僕がいない世界を彼らは当然と思っていた。
時間は僕を置いて急速に進行していた。
運動も禁止されていたので、僕は教室から窓の外を見て過ごした。
女の子がからかって僕を誘ったが、無視して考え事をしてる振りをした。

父さんは6時まで仕事があったので、学校が終わってからは図書室で時間を過ごした。
誰もいない図書室で、僕はよく唸った。
肩から羽が生えるぐらいのエネルギーが何処かにあった。けれども、肉体は裏腹に、そんな僕を締め付けようとがんばっていた。
相反する力の衝突を受けて、僕は開けっ放しでぜんぜん頭に入らない本に向かって唸った。

父さんが迎えに来る6時には僕はいつもくたくただった。
そんな僕を見て父さんはまだ病気は治っていないんじゃないかと心配そうな面相をした。

家に帰るとやることがなかった。母さんは僕の顔を見て「少し寝なさい」と言った。
布団を敷いてもらったが、眠くはなかったので目をつぶって寝る振りをした。
電気を消して母さんが台所に戻ってから、僕は今僕に起こっていることを考えた。一体僕はどうなってしまったのだろう?
このまま自分の体が自分のものではないような感覚を持ちながら一生を過ごすのだろうか?
そんな一生は耐え切れないな、と思った。
腹ばいになって枕をぎゅっと握り締めながら、僕は窓から見える街の明りを見つめた。
兄さんが帰ってきた。母さんが晩御飯のために僕を起こしに来た。
僕は眠った振りをした。夜の空気を腹いっぱいに吸い込んで。
僕はこのまま体が破ち切れたら良いのに、と思った。

 

003

2001/09/01 sat, 02:07:47

脱線!想い出話

ナリタトモヒロ  

 今日も日が暮れて、明日に日が昇る。おそらく世界はそんな風に出来ているに違いないと思う今日この頃。皆様はいかがお過ごしでしょうか。
 うたた寝が本寝になり、目覚めれば夜中。僕の周囲には重苦しい夏の熱気がこもっています。エアコンの澱んだ冷気も嫌いではないけど、夏の熱気も嫌いじゃないです。少なくともこんな熱気に包まれていると「夏だ!」という感じがこみ上げてくるわけで。とはいえ「こんなのはまっとうじゃない」。それはわかっているんだけどね。
 だいたい、こんな夜と昼とが逆転しているような生活を送っている人間は(ただいま夜中の3時過ぎ。これからが僕の活動の本番です)そもそもが健康的じゃないし、クールでもない。世間的にいえば、「暗い奴!」ということです。まぁ、しょうがない。昼に起きていてもやることがないのですよ。あぁ、哀しきかなわが人生!
 さてさて、夏の想い出。こんな生活の僕なので、そういう「想い出」が発生する余地がない。「な、な、なんてこったい。ちっきしょー」と思っても自業自得で身からでた錆。まぁ、「夏の想い出」なんてのは単なる「物語」でしかないし。と、たかをくくりたいけどそう言う度になにやら涙が…。という惨憺たる有様。どうぞ皆様お笑いください。
 毎年、毎年、同じ事の繰り返し。まぁ、飽きもせずによくやるもんだということで、夏休みの始まりに、「今年こそは!」という意気も、一日二日と経つうちに意気消沈。これまた笑うしかないという状態。我ながら情けなく、惨めです。
 「想い出がないのが想い出」。あぁ、もうこんな言葉遊びにはそろそろ疲れました。
 よし、明日こそ早起きして夏の想い出を作るぞ。でも、一体何をどうすれば想い出なんて出来るのでしょうか。うーん。はて、どうしたものか。誰か教えて!
 にしても、つまらん文章だ。ふぅ。でも、ここで一言、皆さん想い出と記憶の違いってわかりますか?

 

002

2001/08/22 wed, 00:01:12

「サバトラ」

高橋孝次  

 夏は猫のシーズンだ。それはぼくだけの季節感なのかもしれないが、猫との出会いや別れはいつも夏だった。夏の暑い日にひょっこり現れて、夏の谷間の涼しい日にしらっと消えてしまう。そんな風に思うのはこんなことがあったせいかもしれない。
 夏のある日、昔からよく知ってる女の子から久しぶりに連絡があった。その突然の連絡のわけは、「猫を飼わないか」というものだった。
 なんでもその猫は、つい最近ふらりとやってきた野良のトラ猫で、ちょっと惹かれて餌をやってしまったばっかりに、それ以来住みついてしまったらしい。家の事情や近所との折り合いもあって、彼女の家でも飼うことは出来なくて、一週間のうちに捨ててこいと言われているとのことだった。それで猫好きのぼくにお鉢がまわって来たわけだが、大家さんの家が近いアパートに、野良はまだしも家猫としては難しい、それに母の猫嫌いもあって実家で飼うことも断念しなくてはいけなかった。知り合いにも猫を飼えるような心当たりはなかった。
 その野良のトラ猫は、黒とグレーと茶のサバトラで、おなかと足先が白い。少し痩せていて、野良にしてはきれいなその毛並みを通しても、あばらのラインがはっきりとわかった。最初、子猫だと思って哺乳瓶でミルクをやると、ゴムの乳首を噛み切ったそうだ。馬鹿にするんじゃないわよって感じだったと彼女はいっていた。そう、メス猫だ。でも、ひとなつっこくて、手の平の上でゆっくりと餌を食べる所を見ると、まだ野良歴も短いみたいだ。
 彼女はその猫を「ニャン公」と呼んでいた。名前をつけると手放せなくなるから、「ニャン公」と呼んでいた。それでももう愛着は出てきているようだった。
 もうひとつ、彼女には「ニャン公」を捨てられない理由があるはずだった。何年か前、ぼくのアパートの居候だったサバトラ猫「えみる」を紹介したときのことだ。彼女はずっと前から知り合いだったみたいにひどく懐かしがった。小さい頃にこんな柄の猫を飼っていたこと、その猫がかわいそうな死に方をしたこと、たくさん泣いたことなど、ゆっくりと、ポツリポツリと教えてくれた。サバトラの「ニャン公」はちょうどお盆の日に「帰ってきた」らしい。
 一緒に飼い主を探してくれないかという懇願を断る理由もなく、ぼくはそれを引き受けた。
 駅前にこの夏オープンしたばかりのカフェがあって、ぼくらはそこで最初の会議を開いた。煉瓦と漆喰の手作りな雰囲気で、中古のザックリとして適度に硬いソファや、北欧製らしいテーブルは、ネコ科のぼくらを長居させるのに充分な環境だったのだが、残念ながら「ニャン公」は彼女の家で留守番のため、欠席だった。やっぱり車で1時間もかからないくらいのところが「ニャン公」にも負担が少なくていいとか、インターネットで飼い主を探そうだとか、新聞の交換広場で里子に出すとか、張り紙作戦だとか、一戸建てでこんな家族構成の人に預けたい、などなど会議は意外と盛り上った。彼女がカフェ・ラテの細いストローを指で挟んで、カラカラと氷を転がすうちに、魔法のように時間が過ぎて、カフェがバーになる前にぼくらは店を出た。
 ―――彼女は猫の冬毛のアレルギーで、「えみる」が冬の布団にもぐりこむと、目を充血させて、くしゃみを連発した。でも「えみる」は追い出されるどころか、朝まで彼女のカイロ代わりになっていた。
 ぼくはそんなことを思い出しながら、ぼくの割り当てになった仕事に少しワクワクして帰り道を歩いていた。どこか楽しい気分になっていた。
 その夜、「ニャン公」は彼女の家には帰ってこなかった。次の朝も「ニャン公」は帰ってこなかった。次の朝も次の夜も、その次の夜になったって「ニャン公」は帰ってこなかった。ほんとうに、煙のように消えてしまった。
 それが良かったのか、悪かったのか。彼女は少し泣いたようだったが、探すようなことはしなかった。彼女はただ思いつく限りのプラス思考を「ニャン公」の身の上に重ねていた。
「ニャン公」がいなくなった日、少し風があって涼しいからと、庭に面した大きな窓を少し開けていたらしい。サッシの下の方に茶色の毛が数本ついていた。しばらく不用心に開いていたその窓も、今は鍵がかけられているだろう。
 いろんなことが立ち消えて、思い出ばかりが胸に残った。彼女ともそれ以来だ。ツクツクボーシが鳴く頃に、夏の思い出はいつも尻切れてしまう。しばらくは話し掛けた猫に逃げられる日が続きそうだ。

 

001

2001/08/15 wed, 00:27:31

「会いたかった少女」

小嶋洋輔  

高校一年の夏の出来事を話そうと思う。
 そう書き出して少し衝撃を受けた。もう十年近い年月があれから経過しているのだ。けれど、記憶はことのほか鮮明で、まさに私にとっての「夏の思い出」である。 高校一年の夏休みといえば、そろそろ学校でのポジションも決まり、「ああこんな感じでいればいいのね。」なんてことも大体わかってきて、気の合う友人なんかも出来たりして、勉強もまだ良いし、
そろそろ彼女なんてものも、大人の付き合いの彼女なんてものも、作ってみようか何てギラギラしているころだと一般的にいえる時期だと思う。
 その頃の私はといえば、親父の知り合いから、使い古しのベースギターを譲り受けたばかりで、弄るのが楽しくて、仲良くなったばかりの友人の家なんかに行って――アンプが家に無かった――そいつのギターと「ただ何となく音あわせる遊び」に夢中だった。その頃はやっぱり、Guns and Roses何ていうのが全盛で、そんな奴等の曲をとにかく自分が楽しくをモットーに、リズムもめちゃくちゃに、音を出していた。
 「思い出」はそんなことじゃない。
 私の高校は、国内きってのマンモス校で――甲子園一回戦で負けちゃった――、つうことは「友人の家」もそれこそ各地に点在しているわけで、遊びに行くのも電車で20分何ていうのもざらだった。
 その日も電車に乗って「友人の家」に向う途中だった。
 そこに見知った女の子の顔を見つけた。
 見知ったといっても、教室に存在していることを認知していたというだけで、会話もしたことは無かったし、席も遠い接点の無い娘だった。
 休み時間誰とも話さず本を読んでいる、そんな娘だった。
 私が「気まずいことになったなあ。挨拶ぐらいした方がいいのかな」なんて考えていると、彼女のほうから会釈してくれた。
 彼女の容貌は、「可愛いんだけど翳がある」といったもので、長い黒髪、それでいて前髪はびしっと一文字にそろっていた。ここからは彼女との会話を断片的に・・・。
 「あのさあ、ドラえもんがうちにいたら良いなあ何て思ったことない?あいつはいいよお、絶対。」
 「へっ?四次元ポケットあるしな。何か出して欲しいもんあるの?」
 「そうじゃなくてあいつは絶対やさしいと思うのね。友達思いだし。」
 とか、
 「あそこのおもちゃ屋の看板のトーマス、知ってる?」
 「ああ知ってるけど。でっかい奴でしょ?」
 「この電車に乗ってると見えるじゃない。ほら、あそこだよ。あいつ何があっても絶対笑ってるんだよ。すごくない?」
 彼女の会話は突拍子もなくて、今思うと学校のこととか、どこ住んでるのとか全然出てこなくて不思議だったけど、何だか「大人」な感じがした。
 彼女が降りる駅に着いた。降り際に彼女は変な話ばっかりでごめんと笑い、絵を書くのが好きなんだといってボクに「コロ助」のイラストをくれた。
 そして、最後に「Ian Brownって知ってる?Stone Rosesの。音楽やるんでしょ。」と呪文のようなことをいって去っていった。
 
 学校がはじまっても、彼女と話す機会はなかった。私が子供で、何を話していいかわからなかったから避けていたといっても良いかもしれない。
 そのうち彼女に、大学生の彼氏がいるということを聞いた。
 今、私の部屋では、あの時呪文でしかなかった、The Stone Rosesの「Tell Me」が流れている。

old essay new essay return to home